生き抜く足利 〜領地拡大〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1221年に起きた承久の乱

京の後鳥羽院が討幕の兵を挙げ、北条義時追討の院宣を発しました。

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後鳥羽院

鎌倉では後鳥羽院挙兵の報を受け、武士らに動揺が走りました。

しかし、その動揺を鎮めたのが北条政子でした。

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北条政子


政子は御家人に対し、鎌倉創設以来の源頼朝の恩顧を訴え、院方を討伐し源実朝の偉業を引継いでいく旨の声明を発表しました。
これを聞いた御家人は感動し義時中心とした武士団が結束しました。

幕府方の軍は19万にもなりました。

この御家人らの中に足利義氏もいました。

義氏は義時の子・北条泰時に従い、足利氏は従軍します。


結果…幕府方の圧勝でした。

これで朝廷は幕府に従属しました。


足利義氏は三河国の守護職を得ました。
東海道の三河国は京と鎌倉の間、この地の守護職は日本の東西交流を牛耳る立場でした。

義氏はこの三河国に庶流で長男である長氏を住まわせました。

長氏が足利氏の分家・吉良氏となります。
(吉良氏の分家が今川氏


この三河国を得たことが後に重要な役割を果たすことになります。





つづく…