義国には既に長男がいました。それが源義重(後の新田義重)。
義国は開墾した下野国足利荘を義康に継承しました。
長男である義重には上野国八幡荘を継承します。
八幡荘は河内源氏の重代の拠点で源頼信、源頼義、源義家、義国と相続されていました。
さらに義重は義国とともに新たに上野国新田荘の開拓に乗り出します。
ここに義重が新田、義康が足利の流れが生まれました。
1142年10月鳥羽院が建立した京の安楽寿院に義康は足利荘を寄進します。
義康は下司職となりました。(下司職とは現地で実務を行う役職)
つまり実際に足利荘を指揮するのは義康でした。
この足利荘の寄進により義康は鳥羽院との繋がりを付けたことになります。
そして義康は上洛します。
つづく…

