説 その二
為義の叔父・義忠、義国の生まれた年ですが、
義忠 1083年
義国 1091年
為義が1096年で義国と為義は5歳差です。
義忠、義国は為義の父・義親の弟です。母は「藤原有綱の娘」。
つまり……
為義の生母は「藤原有綱の娘」ではないか⁉︎
じゃあ父は⁉︎という疑問が生じます。
父は義家ではなく「義親」。
つまり義親は自分の父親である義家の妻と関係をもち、その間に為義が生まれたと考えます。
この義親の乱暴行為に怒った義家は義親を対馬に追いやったのではないでしょうか。
(それまで河内源氏の一族が西国の国司になったことはありません)
「藤原有綱の娘」は義家が亡くなった後、家長権限を代行する立場にありました。
彼女は義親を廃嫡し、自らの子・義忠を嫡男と定め、為義を義忠の養子としたのではないでしょうか。
かなり乱暴な説ではありますが、よくよく考えるとあり得るな~と思いました。
最後の説はさらに乱暴な説です。
つづく…