この戦いの裏では源範頼の働きがありました。
範頼は山陽道を進んでいましたが、彦島の平知盛に阻まれ九州へ渡れずにいました。
しかし九州の反平家の豪族が兵船の献上と周防国の豪族から兵糧米の提供があり、範頼軍は九州へ渡れました。
そして九州の平家方を討ち、長門、豊前、筑前を制圧し彦島の知盛を孤立させました。
この範頼の働きが知盛を彦島に釘付けにし、知盛は屋島に行くことができませんでした。
「屋島の戦い」で敗走した平家は彦島に入りました。
そして1185年4月「壇ノ浦の戦い」が起きます。
戦いの前半は平家軍が有利でしたが潮の流れが変わり、鎌倉軍が優勢になりました。
平家を裏切る武士も出て平家は負けを悟ります。
そして…平家一門は海を身を投じます。武士だけでなく女人も…投じました。
鎌倉軍は勝利しました。
しかし義経には苦難が待っていました。
つづく…

