後白河院としては平家から三種の神器が戻ることを願っていました。
源範頼、義経ら鎌倉軍は福原に陣を構える平家を攻撃します。
1184年2月、鎌倉軍は兵を二手に分け、平家を奇襲します。これが「一ノ谷の戦い」です。
義経は平家の背後の一ノ谷の絶壁から奇襲、これが有名な「逆落とし」です。
平家は有能な武将を失い、海上へ敗走しました。
三種の神器は奪還できませんでしたが、京へ戻った義経はヒーローでした。
1184年6月朝廷の除目が行われ、頼朝の推挙により範頼ら3人が国司となりましたが、義経は外れています。
「なぜだ⁉︎1番活躍したのは、この義経。なのに…」
義経は不満だったでしょう。
これを見透かしたように後白河院は頼朝に無断で義経に左衛門少尉、検非違使の官職を与えます。
このことが頼朝と義経の対立の種となります。
義経は頼朝が築こうとしている武士の世を理解していませんでした。
もう一人の頼朝の弟・範頼は大軍を率いて山陽道を通り九州へ進軍しますが苦戦しました。
そこで後白河院より西国出陣の許可を得た義経が暴風雨の中、船で四国へ渡り屋島の平家を奇襲しました。
これが「屋島の戦い」です。
平家はまたも敗走します。
つづく…
