争う一族 〜大姫の悲劇〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

源義仲の兵力は激減していました。
上洛してから平家軍との「水島の戦い」で敗退、また状況の悪化で数万騎いた兵が千騎あまりになりました。

鎌倉軍は範頼の軍と義経の軍、合わせて6万騎といわれています。

宇治川で激突した両軍でしたが、鎌倉軍が圧倒(宇治川の戦い)、義仲は脱出します。

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宇治川での鎌倉軍の佐々木高綱と梶原景季の先陣争い

義仲は配下の今井兼平と近江国粟津で合流し北陸を目指しましたが、鎌倉軍に襲いかかられ、奮戦しましたが遂に矢を顔面に受け討ち取られました。 享年31歳。

義仲を討ち取り、鎌倉に居る義仲の子・義高の状況は悪化します。

義高を逃がそうと頼朝の娘・大姫が手引きをし、義高は鎌倉を脱出します。

しかし…頼朝の手の者に捕まり、討たれました。享年12歳。

婿を失った大姫は悲し嘆きました。この時、大姫はわずか7歳です。

その後、大姫は病床に伏せ、心を病んでしまいます。
のちに縁談も拒み通し、20歳で亡くなりました。

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大姫





つづく…