争う一族 〜義忠、暗殺〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1109年2月3日、源義忠は郎等に刃傷され、2日後に絶命しました。

犯人は誰か?義忠は何故暗殺されたか?

河内源氏の当主に義忠がいることへの不満が、この事件の背景にあったと思われます。

嫌疑は様々にかけられましたが、16日叔父・義綱(義家の弟)の三男・義明とその乳母父・藤原季方に嫌疑がかかります。

事件の現場に義明の刀が残されていたのです。

義明と季方は追捕に来た検非違使を迎え撃って激戦の上、自害しました。

さらに嫌疑は義綱にも向けられ、義綱は子らと共に逃亡します。

これに対し義忠の養子・為義が追捕しました。そして25日、近江・甲賀山で義綱は降伏します。

この時、義綱の子らは投身自殺、焼身自殺、自害と一戦交えず亡くなります。

義綱は勝手に京から出奔した罪で佐渡に流されました。
後に義綱は為義に追討され自害します。

義綱の一族は滅亡しました。

陰惨な事件は解決したかに見えました。


しかし真犯人は別にいました!

義家の弟で義忠の叔父・源義光だったのです…
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源義光





つづく…


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