秀武に呼応した清原家衡と清衡は兵を進め、白鳥村を焼き払い、真衡の館に迫ります。
真衡は引き返して家衡・清衡を討とうとしました。それに対し家衡・清衡は真衡との決戦を避け逃げました。
(兵の声がが足りなかったのか?決戦はまだ早いと判断したのか?何だっんでしょう)
こんな1083年秋に源義家が陸奥守として赴任してきました。
真衡は赴任のお祝いで三日間歓待しました。(これを三日廚といいます。)
真衡としては義家を味方に付けておきたかったと考えます。
再び秀武を討つべく、真衡は軍を出羽に進めます。
すると、また家衡・清衡が真衡不在の本拠地を攻めてきました。
真衡は攻めてくると予測して備えの兵を置いており、さらには義家の加勢もありました。
家衡・清衡は大敗し義家に降伏します。
その最中、出羽に進軍中の真衡が急死します…
つづく…

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