しかし4年で、その位を息子に譲ります。(これが白河天皇)
自らは上皇として政治を行います。これを院政といいます。「自由な立場で政治を行いたい」と考えていたようです。
院政により藤原摂関家は深く政治に関わることができなくなります。
藤原摂関家に仕え優遇されていた清和源氏は、やがて院政により冷遇されていきますが、これは後々のこと。
後三条上皇はほどなく病死してしまいました。
後を継いだ白河天皇は同じ路線で政治を行います。
白河天皇を悩ましたのが僧兵でした。
寺社の僧兵らが武装し朝廷に強訴と呼ばれるデモを行ない、要求を通そうとしていました。
その強訴の鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍したのが、源義家でした。
義家は弟・義綱とともに護衛に付きました。
1083年義家は陸奥守に任じられます。そして「後三年の役」と呼ばれる戦いに巻き込まれていきます。
つづく…

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