3年もの間、平直方率いる討伐軍に屈しなかった忠常が頼信の出陣でアッサリ降伏したのは過去に頼信の家人だったからといわれてます。
忠常は戦のやめどきを計っていて、いいきっかけだったのかもしれませんね。
頼信は忠常らを連れて京へ帰りますが、途中、美濃国野上で病死してしまいます。
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村人は哀れと思い、塚を築いて葬ったといわれてます。
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頼信は病死した忠常の首を斬り、帰京しました。
忠常の首を朝廷は降伏したものの首を晒すべきではないと忠常の従者に返します。
また忠常の子・忠将、忠近も罪を許されました。
こうして乱は終結しました。
この乱で主戦場となった上総国、下総国、安房国は大きな被害を受けました。
上総国では作田が2万2千町だったのが、わずかに18町に減ってしまいました。
その原因は討伐軍が収奪したためといわれてます。
頼信は功により美濃守に任じられます。
そして頼信の名声は高まり、坂東平氏の多くが頼信の配下に入りました。清和源氏が東国での勢力拡大の契機になりました。
忠常の子らは源頼朝が挙兵した時に従った千葉氏、上総氏となります。
つづく…

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