純友の謎 最期 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

博多湾の戦いで大敗した純友は子息・重田丸と伊予国に逃げました。

その後の純友には様々な説があります。

警固使・橘遠保に討たれ、首を斬られ京で晒された。
または橘遠保に捕らえられ獄中で没した。
さらには海賊の船団で南海の彼方へ消えた。

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橘遠保

わが故郷・新居浜市にある純友を祀っている中野神社にはこんな由緒があります。
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「天慶四年に橘遠保が生子山にて純友を討ったとあります。」

中野神社は中野山の麓、中野山の隣が生子山。
つまり純友は新居浜の地に来て橘遠保と戦い、討たれたということですね。
(日振島に逃げて討たれたとの説もありますが、日振島は純友の根拠地ということは朝廷軍も知っていたはず。純友がその日振島に逃げるとは思えません。)

さらに由緒にこうあります。
「里人は純友の生前の徳をたたえ、中野神社に祀った。」

純友はこの新居浜の地にも生前来ていたということでしょう。

ただ「徳をたたえ」というよりは怨霊を恐れて、霊を鎮めるために中野神社に祀ったと考えます。

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左の狛犬の先に中野神社の社がありました。(社は何年か前の土砂災害で崩壊したそうです。)

この中野神社を知ったことで藤原純友をブログで書くことにしましたが、いずれは日振島にも行きたいと思います。

純友の謎…終わり


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