追捕使とは追捕、「追い捕らえる」の意で海賊、反乱などを鎮圧することを目的として実際に戦闘に当たることが多かったようです。
しかし、紀淑人は武力ではなく和をもって事にあたりました。
海賊集団に衣食や田畑・種子を与え農業に従事させる策を取りました。策により、海賊集団のリーダー格の小野氏彦、紀秋茂、津時成など30人余、総勢2,500人ほどが投降してきました。
純友も一旦は矛を収め、紀淑人に従います。
(この時、純友はまだ伊予掾の役職のままだったのでしょうか?)
武を和で収める策は最良と思います。現代にも通じるものだと考えます。
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