次の天皇には誰が継くのか?
候補の最有力は崇徳上皇の子・重仁親王でした。重仁親王が天皇に即位すれば崇徳上皇は天皇の父として院政が出来ます。
「やっと政治が出来るぞ。」
崇徳上皇の念願が叶う時が来ました。
…しかし、即位したのは崇徳上皇の同父母の弟、雅仁親王でした。これが後白河天皇です。
実は重仁親王の他の候補で守仁親王(後の二条天皇)がいました。守仁親王を押す声もありましたが、守仁親王の父である雅仁親王を差し置いて即位というのは如何なものかとの声もありました。
そこで守仁親王が即位するまでの中継ぎとして雅仁親王が 即位しました。
これには周囲の思惑、策略などドロドロしたものがあったようです。
崇徳上皇の念願は粉々に砕かれました。
「やっと政治が出来ると思ったのに…」
その後、鳥羽法皇が崩御します。
そして抑えられていたややこしい関係、ドロドロした図式が二つに分かれ争います。
これが『保元の乱』‼︎
二条天皇(守仁親王)
二条天皇(守仁親王)
後白河天皇(雅仁親王)