崇徳天皇は政治に関しては何もさせてもらえません。
そして、さらなる悲運が…
崇徳天皇は譲位し、鳥羽上皇の子、崇徳天皇の異母弟が天皇になりました。これが近衛天皇。
崇徳は上皇となり、将来、院政が出来ると思いきや…(院政は子が天皇の場合のみ出来るとなっていたようです。)
崇徳上皇は譲位する際、近衛天皇を養子として位を譲るはずが譲位の宣命には弟となっていました。つまり、これでは院政が出来ません。
「騙された…」
崇徳上皇はそう思ったでしょう。崇徳上皇にとっては大きな遺恨となったと思います。
ちなみに近衛天皇は鳥羽上皇と鳥羽上皇が寵愛する藤原得子の子です。
そして鳥羽上皇は出家して法皇となりました。
鳥羽法皇あるいは藤原得子は「崇徳には実権は渡さない。」と思っていたことでしょう。自らの地位を強固にする為に必死ですね。

藤原得子
近衛天皇は病弱で、わすが17歳で崩御します。そして後継を巡り、争いが起こります。そう!『保元の乱』です。