20世紀初頭はシャンパンにとって数々の生みの苦しみの時でした。
 第18回は
20世紀初頭の苦境についてです。
チャレンジしてみて下さい。


ℚ1.第一次世界大戦が起こりその後3年半の間、ランスは1051日の間連続で仮借ない砲撃にさらされました。その間市民やメゾンはどうしていたでしょうか?

①もう一つの中心都市、エペルネに避難していた。
②パリに避難し、生産を中止していた。

③石灰岩の洞窟であるクレイエールに避難していた

ℚ2.ブドウ樹を壊滅させるフィロキセラは、フランスでは1862年にローヌ渓谷で発見されました。数年のうちにフランスの南半分のほとんどを壊滅させるまで蔓延しました。最も効果的な対策は何だったでしょうか?

①アメリカ系のブドウ樹を植え、継ぎ木する。
②土壌に二酸化炭素を注入する。
③糞尿から作られる殺虫剤を振り撒く。

ℚ3.第一次世界大戦が終結して、シャンパンの売り上げはどうなったでしょうか?

①急速に需要が拡大した。
②徐々に戦前のレベルまで回復した。

③経済不況に陥って低迷した。


如何でしょうか?

答えは、

ℚ1:③石灰岩の洞窟であるクレイエールに避難していた
ℚ2:①アメリカ系のブドウ樹を植え、継ぎ木する。

ℚ3:③経済不況に陥って低迷した。


【解説】
 1914年に起こった第一次世界大戦(1914年7月28日から1918年11月11日)はシャンパーニュに甚大な被害を与えました。この戦争ほどシャンパーニュ地方に大きな影響を与えた戦争はありませんでした。

 大戦が起こりその後3年半の間、ランスは1051日の間連続で仮借ない砲撃にさらされました。市民の大半が巨大な石灰岩の洞窟であるクレイエールに避難せざるを得なくなり、地下の貯蔵室で生活しました。地上にあった全てのものが地下に潜りました。学校、病院、教会、カフェ、肉屋、パン屋など。

 

 大戦の影響はブドウ畑にも大きな影響を及ぼしました。ブドウ畑の状況は年々悪化していったのです。フィロキセラ虫害が蔓延したのです。大戦が終了した時点ではシャンパーニュ地方に無償で残っているブドウ樹はほんの僅かで、根こそぎ引き抜き、アメリカ産の台木で植え直さなければならない状況に至ったのです。

 

 さらに悪いことに、大戦により経済低迷がフランス国内の消費を落ち込ませ、シャンパーニュ地方は苦境に陥りました。ロシア革命(1917年)による輸出の停滞、アメリカでの禁酒法(1920年~1933年)の影響が大きく及んだのです。

 そして、1929年にニューヨーク株式市場が急落し大恐慌が始まりました。シャンパーニュ地方にとっては経済不況はとてつもない不運な事態でした。

 



ご興味のある方は、「20世紀初頭は苦境の連続だった・・・シャンパンのそうだったのか!⑰」こちらをご覧ください。
詳しく解説しています。