数多くのシャンパン・メゾンの中で、現在のような発泡性ワインに発展させた功績のあるメゾンの2つ目が「ポメリー」です。その創業者はヴーヴ・クリコ・ポンサルダンです。
 第21回はそのルイーズ・ポメリー」についてです。
チャレンジしてみて下さい。


1.ルイーズ・ポメリーの生きた19世紀半ばから20世紀までのシャンパンは、主にどのように飲まれていたでしょうか?

① 食事後にデザートと一緒にシャンパンを飲む。

② 食事前に前菜と一緒に飲む。

③ 食事に合わせて飲む。

 

2.ルイーズ・ポメリーは事業を継承した直後、銀行が融資してくれません。そこで大胆な行動をとりました。行った行動は何でしょうか?

① 気球を使った宣伝を始めた。

② 著名な絵画を買い取った。

③ クレイエル(地下窟)を買い取った。

 

3.ルイーズ・ポメリーが行った功績は何でしょうか?

当てはまるものを全て選んで下さい。

① ピノ・ノワールだけで造るロゼ・シャンパンを先駆けて造った。

② シャンパーニュ地方で初めてとなるヴィンテージ・シャンパンを造りました。

③ シャンパンの生産を甘口から辛口に転換して販売した。

 

 

答えは、

1:① 食事後にデザートと一緒にシャンパンを飲む。

2:② 著名な絵画を買い取った。

3:③ シャンパンの生産を甘口から辛口に転換して販売した。



【解説】
 シャンパンはその爽やかな飲み口が人気で、今でこそシャンパンは辛口(Brut)が主流ですが、かつては甘口が占めていました。

 

 食事後にデザートと一緒にシャンパンを飲むことが、第二次世界大戦までのフランスでは主流で、食事とは別に飲まれ、食事前に飲むこともありませんでした。発泡性シャンパンは食後に出すものとされていました。

 

フランスでこの甘口が辛口に変わってきたのは、英国の影響が大きく作用しました。この英国での辛口人気に目を付けたのがルイーズ・ポメリーでした。英国の甘口から辛口への嗜好変化にもかかわらず、1850年まで頃は他のシャンパンメーカーはこの求めに応じませんでした。しかし、ルイーズ・ポメリーは大胆に事業方針を辛口に舵を切ったのです。

 

 彼女は事業を継承後、事業を拡大しようとしましたが、銀行が融資してくれません。そこで大胆な行動をとりました。ジャン=フランソワ・ミレーの絵画、『落穂拾い』(1857年)を高額な資金を出して買ったのです。彼女の肝の大きさに銀行も驚嘆して、以降、事業が好転しました。



ご興味のある方は、「辛口シャンパンを先駆けた「ルイーズ・ポメリー」のポメリー」・・・「ャンパン・メゾン⑥」こちらをご覧ください。
詳しく解説しています。