現在のような華やかなシャンパンのビジネスに仕上げたのは、シャンパーニュ地方の男性ばかりだけではありませんでした。女性とドイツ人の貢献が大きかったのです。
第19回は「女性とドイツ人の貢献」についてです。
チャレンジしてみて下さい。
ℚ1.シャンパンの発展の貢献の一つに動瓶(ルミアージュ)という、瓶の中の澱を瓶の口付近に集める方法があります。これを生みだしたのは次のどの女性でしょうか?
① クリコ・ポンサルダン未亡人
② マダム・ポメリー
③ マダム・ボランジェ
ℚ2.シャンパンの辛口販売や社会貢献に寄与し、国葬まで行われた女性は誰でしょうか?
① クリコ・ポンサルダン未亡人
② マダム・ポメリー
③ マダム・ボランジェ
ℚ3.18世紀に創業した次のシャンパン・メゾンのうち、創業や事業発展にドイツ人が活躍したのはどれでしょうか?
① モエ・エ・シャンドン
② ランソン
③ ヴーヴ・クリコ
④ ルイ・ロデレール
ℚ4.19世紀に創業した次のシャンパン・メゾンのうち、創業や事業発展にドイツ人が活躍したメゾンを全て選んで下さい。
① G.H.マム
② ボランジェ
③ ドゥーツ
④ クリュッグ
⑤ シャルル・エイドシック
答えは、
ℚ1:① クリコ・ポンサルダン未亡人
ℚ2:② マダム・ポメリー
ℚ3:③ ヴーヴ・クリコ
ℚ4.:①~⑤の全て
【解説】
シャンパーニュの世界的成功は、生産と販売を根底から結び付けた、ブドウ栽培・ワイン製造者(特にネゴシアン)の力によるものでした。ネゴシアンには、ドイツからの移住者や女性企業家であった未亡人が多いという特徴がありました。
●ヴーヴ・クリコは、穴の開いたボード(ピュピトル)に差し込まれたボトルを回す動瓶(ルミアージュ)のテクニックや、ロゼシャンパンの開発、大胆な海外輸出によりブランドの成功に導きました。
●マダム・ポメリーは、辛口のシャンパーニュを商品化しました。また、自社社員のために初の年金基金と健康保険を設立したほか、ランス市のために孤児院と妊婦基金を設立しました。「マダム・ポメリー」は女性で初めて国葬が執り行われました。
●マダム・ボランジェには、第二次大戦下、ドイツ軍に占領されたフランスで、通称「ワイン総統(フランスからドイツへのワインの供出を指揮した)」を単身で追い返したという逸話があります。
18世紀から19世紀にかけて、隣国ドイツがシャンパーニュ貿易に興味を示します。ドイツ人の若者がシャンパーニュ地方に移住して修業をしました。彼らは、この地方に定着した末に共同または単独でメゾンを建てるという例がよくありました。以下のメゾンが代表例です。
●ヴーヴ・クリコ
1772年創業のヴーヴ・クリコにはヴーヴ・クリコ・ポンサルダン夫人を支える2人のドイツ人がいました。
●G・H・.マム社
1827年創業のG.H.マム社のマム一族はドイツ人で、一族でシャンパーニュに居を構えました。
●ボランジェ
マダム・ボランジェで有名なボランジェは1829年創業です。マダム・ボランジェの夫の祖父であるジャック・ボランジェがドイツ・ヴェルテンブルグ出身です。
●ドゥーツ
ドゥーツはフランス国境にほど近いドイツ・アーヘンに生まれた2人のドイツ人が1838年に創業したメゾンです。
●クリュッグ
クリュッグはドイツ・マインツ生まれでフランスに帰化したジョセフ・クリュッグが1843年に創業したメゾンです。
●シャルル・エイドシック
ドイツ人のシャルル・カミュ・エイドシックは、シャルル・エイドシックを1851年に創立しました。彼はミュージカルや映画になった「シャンパン・チャーリー」です。

ご興味のある方は、「シャンパーニュを発展させた女性とドイツ人たち・・・シャンパンのそうだったのか!⑱」⇒こちらをご覧ください。
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