自転車のパンクのブログで、

英国人「ダンロップ」が英国式バルブを考案した元祖

と書きました。

 

書いているうちに、「元祖」で想い出したことがあります。

「安倍川(あべかわ)餅」です。

 

 

 

  安倍川(あべかわ)餅」とは

多くの方は、一度は食したことがあるのではないでしょうか。

餅にきな粉をまぶし、その上から白砂糖をかけた和菓子。

現在では、「きな粉をまぶしたもの」と「餡を絡めたもの」があります。

静岡市の名物です。

 

 つきたてのお餅の柔らかさが口の中で溶けて美味しいです・・・

 

 

  安倍川餅の「謂れ」

伝承

 徳川家康が晩年過ごした、府中(静岡)は安倍川の上流で金が採掘されていました。

 見分に訪れた家康が茶屋に立ち寄り、きな粉を砂金に見立てて餅にまぶした

 「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。

 家康はこれを喜んで「安倍川餅」と名付けたとの伝承があります。

 

史実

 徳川吉宗は安倍川餅に目がありませんでした。

 南町奉行・根岸鎮衛の随筆には

 「安倍川餅のようなうまい餅は東海道ではほかにない

 と吉宗が断言して語ったことが記載されています。

 享保の改革で徹底して倹約を奨励していた、

 あの吉宗が贅沢をして食していた餅です。

   よほど好きだったんですね・・。

 

 

  安倍川(あべかわ)餅にはブランドがあるのか?

小学生のころ算盤を習っていました。

算盤塾は静岡市を流れる安倍川の傍にあり、

「安倍川(あべかわ)餅」の店が何軒かありました。

 

 

 

その店の看板にある店は「元祖・安倍川餅」、

別の店は「本家・安倍川餅」と掲げてあり、

当時は、元祖と本家との表現の違いはあまり気にしていませんでした。

 

ただ、由緒あるこの場所が、きな粉をまぶした餅の「安倍川餅」の本場。

だから、数件も並んでいるんだ、と単純に考えていました。

 

これまで、元祖と本家とのブランド争いが、

様々なお菓子製造販売会社間で起こってきました。

 

京都「八ツ橋」や長崎「カステラ」など。

(これらについては機会があれば書きたいと思います)

 

  安倍川餅には、今、ブランド争いはあるのでしょうか?

今でこそ、安倍川餅は静岡以外でも販売されて好評です。

 

例えば、東京大田区にある「餅甚(もちじん)」は有名ですが、

多くの店は静岡市内にあります。

 

私の知る限りでは、大きなブランド争いの趣はありません。

 

新幹線駅で発売されている安倍川餅は「やまだいち」という会社のもの。

そして、安倍川の岸辺には、今や確認できるのは2軒です。

「石部(せきべ)屋」「かごや」

 

これらの店の創業と店の看板やパッケージの表現を見てみると、

 「やまだいち」:昭和25年(1950年)& 静岡名物

 「石部(せきべ)屋」:文化元年(1804年)& 元祖

 「かごや」:創業100年超 & 静岡名物

 「餅甚(もちじん)」:享保元年(1715年& 大森名物

 

多くが、「名物」と謳い、

商品としての「安倍川餅」の美味しさを前面に出しています。

 

「私の店が一番!」という表現での「元祖」や「本家」は最小限に留めています。

 

なお、「石部(せきべ)屋」こそ元祖と名乗っていますが、

江戸時代から作っているんだというくらいの感覚で使っているのだと推察します。

(安倍川餅には徳川家康の伝承や第8代将軍徳川吉宗(在位1716年 - 1745年)の

具体的事実もありますので、1804年の創業は厳密な意味での元祖ではないことは

承知しているのだと思います。)

 

  ブランド表現は、「元祖」「本家」ではなく「名物」が良い

安倍川餅にブランド争いがないのは、

安倍川餅を食する私たちにとっても良いことです。

美味しさを判断するのは消費者です。

 

美味しさの尺度は人によって違い、

美味しいと感じるかどうか、は人それぞれです。

そこに、生産者による元祖・本家という表現で

消費者への誘導が入ると歪められます

 

ですから、店のブランド争いは

消費者の感覚の歪みや迷いを増幅させるだけです。

 

「元祖」とか「本家」とか、店のブランドを売り物にするのではなく、

安倍川餅のように「商品そのものの価値」を伝える表現

であってほしいと思います。

 

すべての店で、最大の特徴である「つきたての餅のような柔らかさ」

を実現できている安倍川餅。

 

その安倍川餅につける「名物」の冠は、

適切なキャッチコピーだと思います。