米沢と言えば上杉鷹山(ようざん)ですね。

上杉家は越後から会津に移り、最後が米沢でした。

会津で120万石だったのが米沢では30万石になり、
遂には15万石へと減らされてしまった。

関ヶ原の合戦で西軍についたことが影響したわけですが、
時の対応次第で貧乏藩にもなる時代だったのです。




藩が移るたびに家臣たちもぞろぞろついていくわけで、
多くがその悲運を共にしたのです。

そんな人たちの末裔を「ザワ衆」と呼ぶそうです。

ザワとは米沢のことです。

そしていまでは、そのザワ衆が米沢市民の大半だとか。




上杉鷹山が10代目藩主になったのは、
藩がそんな苦しいときだったのです。


$東北の歴史・文化・風土を訪ねる-鷹山


鷹山は藩の財政立て直しのため自分たちも倹約に努め、
その一方で思い切った産業振興を進めた。

それは野菜や魚などの食品から日用工芸品まで幅広かった。

そうして産業の基盤を作り、
その結果財政は見違えるようになった。




あなたもご存知の言葉がありますね。

「なせば成る なさねば成らぬ何事も 
成らぬは人のなさぬなりけり」


$東北の歴史・文化・風土を訪ねる-なせば成る


鷹山の自身の体験を表した言葉ですね。

バブルが崩壊した後だったと思うのですが、
ちょっとした鷹山ブームがありました。

鷹山に見習えというわけです。




その遥か前にもこんなことがありました。

アメリカのケネディ大統領が来日したとき、
日本の尊敬する政治家として鷹山を挙げたと言うのです。

彼は外国でも知られているんですね。




さて、上杉鷹山が進めた産業振興ですが、
実はその産業はいまも米沢の産業であり続けています。

米沢を代表する伝統産業の殆どは
彼が奨励したものだと言われます。

紅花染め、相良人形、笹野一刀彫・・・。

そして食については「米沢のABC」
と言われているものがあります。

このABCについては詳しく書いたページがありますから、
そちらに譲ります。

鷹山の手腕には、
いまの日本が学ぶことがあるかも知れないですね。