2023 - 74 | ひで、のブログ

ひで、のブログ

思ったことや感じたことを書き綴っていく日記のようなものを書いていこうと思います。

冬がやってきました。

寒いのは苦手なので、

クマのように冬眠したいところだけど、

いまどきのクマは冬眠しないかもしれません。

 

ピンポーン♪

どなたですか?

クマだよ。

え、冬眠してるんじゃないの?

僕たちもう冬眠しないことにしてん。

どうして?

山に餌がなくても君らが食べもの持ってるやん。

持ってないよ!冬眠した方がいいよ!

本当に食べ物持ってないのか。

うん。

じゃあ、おまえ。

え?

おまえ、食べる。

えーー!!!

 

ということになったら、

もう怖すぎです。

クマは冬眠というか、

一年中寝ていてほしいです。

 

 

 


神戸マラソンから2週間。

まだ10km程度しか走れません(涙)

左足を少し痛めてる状態で神戸マラソン走ったので、

思った以上に損傷が大きかったのかも。

加古川マラソンまで、あと2週間。

来週末にハーフの距離走れなかったら、

DNSも考えないと・・・。

 

 

 


 

ドラえもんは猫語がわかるようですが、

ドラえもんを開発したのは人間なので、

未来の世界では、

人類は猫の言葉がわかるようになっていることになる。

そもそも、ドラえもんは耳があったとしても、

どのへんが猫型ロボットなんだ?

と思ったりしますが、

猫と会話ができるなんて、

明るい未来が待っているようです。

 

 

 


そのむかし、

牟田口廉也(むたぐちれんや)という人がいました。

この人は何者かというと、

太平洋戦争期の帝国陸軍の軍人で、

後に世界中から失笑されることになる、

あの有名なインパール作戦の司令官でした。

現在でも無謀な計画を強行して失敗した際に、

「それインパール作戦と一緒だね」

といった感じに、バカにする時に使われます。

 

インパール作戦とは、太平洋戦争で

ビルマからインド北東部にある英軍の拠点・インパールを

攻略する作戦です。

地形的に補給が困難であることを理由に反対者が多数いたが、

牟田口廉也は周囲の反対を押し切り、強行します。

 

彼はインパール作戦を実施する際、

補給不足を打開するために羊や牛などに荷物を載せて移動し、

お腹が空いたら家畜を食べるという作戦を考案。

「ジンギスカン作戦」と名付け、

「これ考えたのわし」などと、

周りに自慢げに話していたらしい。 


しかし、牟田口自慢の作戦はすぐに破綻する。

インパールへ行くには2000m級の山々を越えていかねばならないが、

羊や牛が険しい山々を登れるわけもないし、

川を渡るときに多くの牛が流されて溺死するなど、

ジンギスカン作戦は誰もが予想した通り早々に失敗する。

そもそも、そんな険しい山々を越えていけば、

兵は敵軍と戦う前に疲労困憊になっていたことだろう。

やがて兵の食料もなくなり、物資の援助を司令部に要求するが、

牟田口からの回答は、

「糧は敵に求めよ」だったらしい。

もはや意味がわからない。

 

そもそも牟田口廉也はインパール作戦が実施される前に、

「日本人は元来、草食動物である。

見よ、草がたくさんあるではないか。

食料がなくなれば草を食え、

餓死などありえない。」

みたいなことを大真面目に言ってたらしく、

心底、兵を呆れさせたようです。

 

兵が食糧不足で悲惨な目に合ってる時、

牟田口廉也は何をしてたかというと、

後方で芸者たちと毎日遊興に耽っていたらしい。

この情報が英軍に筒抜け状態であったらしく、

「君たちのボス、遊んでるよ~」

というビラが前線の日本兵に配られたとか。

 

インパール作戦は誰もが予想した通り大失敗し、

世界戦史に残る愚策として後世に残ることとなった。

インパール作戦は英軍の補給路を断つことが目的だったのに、

自分たちの補給路を軽視して失敗するなんて、

もはや笑い話でしかない。

いや、笑い話であれば良かったのだが・・・。

 

命からがら退却してきた兵に向かって、

牟田口は以下のような説教をしたらしい。

『食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。

これが皇軍か。

皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。

兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは

戦いを放棄する理由にならぬ。

弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。

銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。

腕もなくなったら足で蹴れ。

足もやられたら口で噛みついて行け。』

 

説教中にも、栄養失調の兵がパタパタと倒れていったらしい。

しかし、とても理性的な指揮官の言葉とは思えない。

こんな台詞を笑わずに言えるのはすごいことだと思う。

このような非論理的な根性論は、

今の日本でもブラック企業の精神に根強く残っている。

 

戦力的には互角であったにも拘わらず、

大惨敗を喫したのはひとえに考えの浅い作戦に他ならない。

英軍からは、牟田口廉也に勲章を与えるべきだ、

というジョークも出ていたらしいので、

敵軍からも笑われていたのかもしれません。

 

戦後、

牟田口廉也は反省の弁や謝罪の言葉を残していたようだが、

晩年、英軍事研究者がビルマ戦線の取材できたときに、

インパール作戦って、けっこういい作戦だったよ、

と言われてから態度を一変させる。

ぼくは悪くないよ、

という本を書いたりビラをつくったりして、

マスコミや自衛隊に配って自己弁護に奔走し、

さらに自分の評価を下げていった。

 

この人、バカじゃないのか?

というような、

おもしろエピソード満載の牟田口れんちゃんだけど、

あまりにも愚将として有名になりすぎたので、

なんでもかんでも牟田口のせいにしておけ!

みたいな感じで、どんどんエピソードが増えたり

話が大きくなったりした可能性もあると思う。

 

最後に。

インパール作戦は死者3万人を出し、

太平洋戦争最大の悲劇を生んだ戦いでした。

死因の多くは伝染病や餓死で、

山道は白骨街道と呼ばれるほど悲惨なものであったらしい。

それだけに、最後まで撤退を許さなかった

牟田口廉也の罪は重いわけだけど、

彼一人が悪者なのかというと、そうでもない。

この大作戦、はじめは「めちゃくちゃな作戦だ」

と反対した大本営をはじめとした上部組織も、

最終的には「やってみたら?」

と許可したわけだから、同罪である。

大本営が態度を変えた理由は戦況の悪化があげられる。

事態を一変させるために大本営はビルマ方面に目を向け、

インパール作戦が成功すれば・・・

という幻想を抱いたからだと言われている。

自信満々の牟田口に期待してしまったのだろう。

 

 

暇にまかせて書いてみたら、

長くなってしまった・・・。

興味があれば信頼性のある文献を参照ください。

私の書いてることは信頼性がありません(笑)