とても個性的な演奏だった。CDで聴くのとはやはり全然違う。
和声的というよりは,線的。
情緒的というよりは,理性的。
総合的というよりは,分析的。
構築的というよりは,即興的。
ストラクチャーよりも,ソノリティ。
ドビュッシーといわば真っ先に独特のハーモニーが思い浮かぶが,ル・サージュのドビュッシーは線的であり,そのフレージングはパッチワークのようだ。曲の標題から全体像をイメージして各部にふさわしい表現を割り当てて構築していくのではなく,それぞれ曲に縫い目を見つけ出し,その縫い目に沿って丁寧かつ大胆に裁断してカラフルに再構成したような演奏だと感じた。それにしても,このアプローチでのベートーヴェンを実演で聴けるとは思いも寄らなかった。『ワルトシュタイン』の録音でいえばポミエの演奏が近いように感じるが,今回のル・サージュは弾き飛ばしていると言ってもいいくらいにさらに即興的で自由な演奏だった。それでいて違和感なくセンスよくまとめあげる技術はさすがだ。(ツィメルマンやカツァリスと比較すると,ミスタッチは目立ったが。)
今回特に感銘を受けたのが声部の弾き分けで,あえて響きを濁らせた低音のアルペジオに明快なタッチでの高音を乗せることによって,メロディーが浮かび上がり,ふしぎな音響的効果を出していた。こうして隠されたいろいろなメロディーを見つけるのがリサイタルのひとつの楽しみなのだ。ところで,ル・サージュのピアノの音色が右手と左手でずいぶん違うように感じたが,少し考えすぎだろうか。『喜びの島』のフィナーレの低音の迫力には驚いた。
プログラム
ドビュッシー 『子どもの領分』
ドビュッシー 『版画』
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番『ワルトシュタイン』
シューマン 幻想曲 ハ長調
ドビュッシー 『映像』第1集
ドビュッシー 『喜びの島』
シューマン 『ダヴィッド同盟舞曲』から
シューマン 『子どもの情景』から第1曲
@紀尾井ホール
火ここになき灰/松籟社

¥2,520 Amazon.co.jp

本書(原題"feu le cendre")はいうなれば「言語の決定不可能性」についてのvariations=変奏曲であり,繰り返し登場する”il y a là cendre”という文はそのtheme=主題である。この文は「灰」という不思議な物質を指示しているだけではなく,発音された際にlà(そこ)の音が定冠詞laとは判別できないため,意味の揺らぎを引き起こす構造になっている。
「言語の決定不可能性」とは,つまり,あることばにぴったり対応する特定の意味などはないということだ。というのも,意味は声にだされたり、書かれたりしてはじめて伝わるとされているが,声にだしたとき,書かれたときにすでにその意味の解釈は1通りではなくなっているからだ。ことばと意味の世界はひびわれしていて,そのひびからは水がどんどんもれだしている。
社会科学は合理的な主体を想定した経済活動やコミュニケーション活動をテーマにするが,ポストモダニズムはそもそも合理的な主体の想定自体を認めない,あるいは主体が合理的にあったにせよ,貨幣と価値のシステム,あるいはことばと意味のシステムにひびわれが生じている以上,「完全な」経済活動やコミュニケーションというのは不可能だと主張する。
物が燃える
火が消える
灰がある そこに
そこに灰がある
火は消えた
物が燃えていた 何が
灰は火の痕跡としてあるのであって,物の痕跡ではない。物の痕跡は火である。火は物の痕跡でありながら,火は消尽することで自分の痕跡を消す。つまり,灰は痕跡の痕跡である。
灰は常に「何か」の灰であるわけだが,灰となるには「何か」を焼き尽くすこと(=ホロコースト)が必要である。したがって,もはや灰自身は何物の灰でもないのだ。灰は存在者ではなく,存在そのものである。
デリダは言う。「脱構築とは不可能性の経験である」
意味が音になる
音は消えていく
音になった意味は消えていく
これは単なる悲観論ではない。意味の不可能性は同時に文学の可能性でもあるからだ。
デリダのテクストについて書くとき,書き手はすでにデリダのテクストに感染している。このテクストもまたそうだ。書くこととは燃やすことであり,訳者が述べているとおり,「灰」について書くことなどはできない。テクスト自身が灰を産出するのだ。畢竟,このテクストもまた灰にほかならない。
火が消える
灰がある そこに
そこに灰がある
火は消えた
物が燃えていた 何が
灰は火の痕跡としてあるのであって,物の痕跡ではない。物の痕跡は火である。火は物の痕跡でありながら,火は消尽することで自分の痕跡を消す。つまり,灰は痕跡の痕跡である。
灰は常に「何か」の灰であるわけだが,灰となるには「何か」を焼き尽くすこと(=ホロコースト)が必要である。したがって,もはや灰自身は何物の灰でもないのだ。灰は存在者ではなく,存在そのものである。
デリダは言う。「脱構築とは不可能性の経験である」
意味が音になる
音は消えていく
音になった意味は消えていく
これは単なる悲観論ではない。意味の不可能性は同時に文学の可能性でもあるからだ。
デリダのテクストについて書くとき,書き手はすでにデリダのテクストに感染している。このテクストもまたそうだ。書くこととは燃やすことであり,訳者が述べているとおり,「灰」について書くことなどはできない。テクスト自身が灰を産出するのだ。畢竟,このテクストもまた灰にほかならない。
最近,ジャン・ユボーとエリック・ル・サージュのおかげでようやくシューマンが聴けるようになった。
これまでシューマンがなんでだめだったかというと,なんかごちゃごちゃしているからだ。シューマンは1810年生まれで,1つ上にメンデルスゾーン,同い年にショパン,1つ下にリストがいる。西洋音楽の時代ではJ.S.バッハ・ヘンデル・D.スカルラッティの1685年生まれ世代と並ぶゴールデンエイジに属している。ちなみに1809年生まれにはダーウィン,エドガー・アラン・ポー,リンカーン,プルードン,そして薩摩の島津斉彬公がいる。
メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,そしてリスト。いずれ劣らぬコンポーザー=ピアニストである。当然会ったことはないし,きちんと調べたわけでもないが,勝手に性格分析をしてみようと思う。
フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847)
メンデルスゾーンは,女性ばかりの教育熱心な家庭(祖父はカントのライバル,モーゼス・メンデルスゾーン!)でぬくぬく育ったおぼっちゃま。バッハやシューベルトの再評価をしたとてもセンスのいい人であるが,夭折したため悲劇の「天才」のイメージを保持している。たぶん4人の中では一番おとなしく,まともな方だったのではないだろうか。
フランツ・リスト (1811-1886)
リストは言わずと知れた伝説のピアニストで,女性に非常におモテになった方だ。少し嫌味な印象があるが,実は4人の中では一番いい人だったのではないかと思っている。問題児ワーグナーをはじめ,たくさんの弟子たちを育てているし,女性にモテたのも彼が優しくて気遣いを怠らなかったからではないだろうか。彼はすばらしいエンターテイナーであった。彼は多くの傑作を残したが,それ以上に数多くの駄作を残している。恐らくそれらは彼の派手な生演奏を観に来た人たちを喜ばせるためのものだったのだろう。しかし,そうした華やかな活動を続けることが彼の本意だったのだろうか。彼は「愛の夢」「ラ・カンパネラ」「超絶技巧練習曲集」の作曲者であると,同時に「ピアノ・ソナタロ短調」「巡礼の年」「無調のバガテル」の作曲者でもある。彼の本領は後者の作品群であり,本来はもっと革新的で野心的な芸術家で,いい人すぎてかなり無理をさせられていたんじゃなかろうか。(もっともある人間の性質を一つに定義すること自体に無理があるわけだが…)後年に僧院に引き籠ったのも,若いころ遊びすぎたことの反省もあるのかもしれないが,世間に疲れてしまったからなのではないかと思う。故郷ハンガリーを離れて,コスモポリタンとして活躍した彼は実はかなり孤独な人間だったのではないだろうか。彼は今でこそ後世に大きな影響を与えた作曲家としての名声を獲得しているが,ともすれば一発屋で終わっていた可能性もあったのではないかと思う。もう少しリストに彼自身理想の芸術に向き合う時間があれば,音楽宇宙は現在よりももう少し広くなっていたかもしれない。とは少し言い過ぎか。
フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
ショパンはというと,一般的なイメージは病弱で繊細で情熱的な恋愛を幾つもしたロマンチックな作曲家というところだろうか。それは専ら彼の天才的なメロディーセンスに拠るところが大きいと思う。後世の人は彼の作曲した甘い旋律にとにかく名前とロマンチックなエピソードを付けたがった。しかしながら,もし「ロマン派」に正式な定義があるとするならであるが,ショパンの音楽観は「ロマン派」の目指すものからは遠く隔たっていたと思う。交響詩の創始者リストとは違い,彼が作曲したのは標題のない絶対音楽であり,彼はシューベルトやシューマンとは違い,文学をさほど好んでいなかった。彼こそは純粋な音楽家,あるいは音響家であったのだと私は信じている。(それにしては旋律が美しすぎたが…)少なくともリストやシューマンとは音楽観が全く違った。彼らがショパンとその作品に称賛を惜しまなかったにも関わらず,彼はリストのピアノ技術はある程度評価したが,彼らの音楽性については全く評価していない。というか彼らについて悪口を言っているくらいだ。私はショパンが4人の中で一番めんどくさい人間だったに違いないと思う。これにはかなりの自信がある。最大の被害者ジョルジュ・サンドが別れた後にいろいろと漏らしているが,彼は繊細というよりは神経質であり,情熱的というよりはわがままだったんじゃないだろうか。彼は生徒から高いレッスン料をとったことでも有名であるが,それは多分あまり人と関わり合いたくなかったからだろう。彼はおしゃれでものまねで人を笑わせるのが得意だったそうだが,それはうまく表面を取り繕うための仮面であり,しかたなくサロンに出入りしていたものの本心では全然楽しくなくて早く家に帰って一人になりたいと考えていたんじゃないだろうか。マリー・ダグー伯爵夫人が「砂糖をまぶした牡蠣」って言っているくらいだから。かなり悪口っぽくなってしまったが,私が一番落ち着くのはそんなショパンの曲を聴いている時なんだな。まだすれる前の曲も,人気絶頂の時の曲も,悟りを開いた晩年の曲もどれもみな好きだ。
ロベルト・シューマン (1810-1856)
そして最後のシューマン君だが,彼はかなり真面目なドイツ人で,その実直さゆえに他人からの信頼が厚かったり,あるいは真面目すぎて人が寄りつかなかったりして,最終的に悩みすぎて自分が分からなくなって自殺してしまうような人だった。あまり要領のいいタイプではなかったのだろう。それでも教養に富み,文学にも造詣が深かった彼は,「ダヴィッド同盟」という架空の団体を構想するなどかなり恥ずかしいことを考えていたほどの夢想家(あのショパンも勝手にメンバーにされていた)だったから,「ロマン派音楽家」というのは彼にこそふさわしい呼称であったといえる。彼の曲を聴いているとその真面目さに息苦しくなる反面,突然の感情の吐露に思わずひいてしまうことがあったりする。「謝肉祭」や「クライスレリアーナ」などを聴いていると,彼に何があったのか心配になってしまう。シューマンはとても頭のいい人で若い時からいろんな面で期待をされていた人だが,その分指の故障でピアノが弾けないことや妻クララの才能へのコンプレックスも大きかったのではないだろうか。真面目だっただけに彼の内面の葛藤は決して小さくはなかっただろうと推察される。出来不出来の差が激しく,いろいろと評価の分かれることの多い作曲家ではあるが,個人的には子供のための曲に彼の自然な感情が現れているような気がする。それらを聴くたびに温かい気持ちになる。ちなみに「ポニョ」に似ていると評判の曲もある。
ところどころ断言している部分がありますが,すべて私の勝手なイメージなので悪しからず。
これまでシューマンがなんでだめだったかというと,なんかごちゃごちゃしているからだ。シューマンは1810年生まれで,1つ上にメンデルスゾーン,同い年にショパン,1つ下にリストがいる。西洋音楽の時代ではJ.S.バッハ・ヘンデル・D.スカルラッティの1685年生まれ世代と並ぶゴールデンエイジに属している。ちなみに1809年生まれにはダーウィン,エドガー・アラン・ポー,リンカーン,プルードン,そして薩摩の島津斉彬公がいる。
メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,そしてリスト。いずれ劣らぬコンポーザー=ピアニストである。当然会ったことはないし,きちんと調べたわけでもないが,勝手に性格分析をしてみようと思う。
フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847)
メンデルスゾーンは,女性ばかりの教育熱心な家庭(祖父はカントのライバル,モーゼス・メンデルスゾーン!)でぬくぬく育ったおぼっちゃま。バッハやシューベルトの再評価をしたとてもセンスのいい人であるが,夭折したため悲劇の「天才」のイメージを保持している。たぶん4人の中では一番おとなしく,まともな方だったのではないだろうか。
フランツ・リスト (1811-1886)
リストは言わずと知れた伝説のピアニストで,女性に非常におモテになった方だ。少し嫌味な印象があるが,実は4人の中では一番いい人だったのではないかと思っている。問題児ワーグナーをはじめ,たくさんの弟子たちを育てているし,女性にモテたのも彼が優しくて気遣いを怠らなかったからではないだろうか。彼はすばらしいエンターテイナーであった。彼は多くの傑作を残したが,それ以上に数多くの駄作を残している。恐らくそれらは彼の派手な生演奏を観に来た人たちを喜ばせるためのものだったのだろう。しかし,そうした華やかな活動を続けることが彼の本意だったのだろうか。彼は「愛の夢」「ラ・カンパネラ」「超絶技巧練習曲集」の作曲者であると,同時に「ピアノ・ソナタロ短調」「巡礼の年」「無調のバガテル」の作曲者でもある。彼の本領は後者の作品群であり,本来はもっと革新的で野心的な芸術家で,いい人すぎてかなり無理をさせられていたんじゃなかろうか。(もっともある人間の性質を一つに定義すること自体に無理があるわけだが…)後年に僧院に引き籠ったのも,若いころ遊びすぎたことの反省もあるのかもしれないが,世間に疲れてしまったからなのではないかと思う。故郷ハンガリーを離れて,コスモポリタンとして活躍した彼は実はかなり孤独な人間だったのではないだろうか。彼は今でこそ後世に大きな影響を与えた作曲家としての名声を獲得しているが,ともすれば一発屋で終わっていた可能性もあったのではないかと思う。もう少しリストに彼自身理想の芸術に向き合う時間があれば,音楽宇宙は現在よりももう少し広くなっていたかもしれない。とは少し言い過ぎか。
フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
ショパンはというと,一般的なイメージは病弱で繊細で情熱的な恋愛を幾つもしたロマンチックな作曲家というところだろうか。それは専ら彼の天才的なメロディーセンスに拠るところが大きいと思う。後世の人は彼の作曲した甘い旋律にとにかく名前とロマンチックなエピソードを付けたがった。しかしながら,もし「ロマン派」に正式な定義があるとするならであるが,ショパンの音楽観は「ロマン派」の目指すものからは遠く隔たっていたと思う。交響詩の創始者リストとは違い,彼が作曲したのは標題のない絶対音楽であり,彼はシューベルトやシューマンとは違い,文学をさほど好んでいなかった。彼こそは純粋な音楽家,あるいは音響家であったのだと私は信じている。(それにしては旋律が美しすぎたが…)少なくともリストやシューマンとは音楽観が全く違った。彼らがショパンとその作品に称賛を惜しまなかったにも関わらず,彼はリストのピアノ技術はある程度評価したが,彼らの音楽性については全く評価していない。というか彼らについて悪口を言っているくらいだ。私はショパンが4人の中で一番めんどくさい人間だったに違いないと思う。これにはかなりの自信がある。最大の被害者ジョルジュ・サンドが別れた後にいろいろと漏らしているが,彼は繊細というよりは神経質であり,情熱的というよりはわがままだったんじゃないだろうか。彼は生徒から高いレッスン料をとったことでも有名であるが,それは多分あまり人と関わり合いたくなかったからだろう。彼はおしゃれでものまねで人を笑わせるのが得意だったそうだが,それはうまく表面を取り繕うための仮面であり,しかたなくサロンに出入りしていたものの本心では全然楽しくなくて早く家に帰って一人になりたいと考えていたんじゃないだろうか。マリー・ダグー伯爵夫人が「砂糖をまぶした牡蠣」って言っているくらいだから。かなり悪口っぽくなってしまったが,私が一番落ち着くのはそんなショパンの曲を聴いている時なんだな。まだすれる前の曲も,人気絶頂の時の曲も,悟りを開いた晩年の曲もどれもみな好きだ。
ロベルト・シューマン (1810-1856)
そして最後のシューマン君だが,彼はかなり真面目なドイツ人で,その実直さゆえに他人からの信頼が厚かったり,あるいは真面目すぎて人が寄りつかなかったりして,最終的に悩みすぎて自分が分からなくなって自殺してしまうような人だった。あまり要領のいいタイプではなかったのだろう。それでも教養に富み,文学にも造詣が深かった彼は,「ダヴィッド同盟」という架空の団体を構想するなどかなり恥ずかしいことを考えていたほどの夢想家(あのショパンも勝手にメンバーにされていた)だったから,「ロマン派音楽家」というのは彼にこそふさわしい呼称であったといえる。彼の曲を聴いているとその真面目さに息苦しくなる反面,突然の感情の吐露に思わずひいてしまうことがあったりする。「謝肉祭」や「クライスレリアーナ」などを聴いていると,彼に何があったのか心配になってしまう。シューマンはとても頭のいい人で若い時からいろんな面で期待をされていた人だが,その分指の故障でピアノが弾けないことや妻クララの才能へのコンプレックスも大きかったのではないだろうか。真面目だっただけに彼の内面の葛藤は決して小さくはなかっただろうと推察される。出来不出来の差が激しく,いろいろと評価の分かれることの多い作曲家ではあるが,個人的には子供のための曲に彼の自然な感情が現れているような気がする。それらを聴くたびに温かい気持ちになる。ちなみに「ポニョ」に似ていると評判の曲もある。
ところどころ断言している部分がありますが,すべて私の勝手なイメージなので悪しからず。




