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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

やるしかないのは分かっているが、不満ばかりわいてくる自分と戦うのがしんどいと愚痴ったら、
「おまえは感謝が足りない」
というようなことをパートナーに言われました。

うすうす気づきかけていたことをグサリと言われて泣きそうでした。
突き放す言い方ではなく、会話の流れの中の一言であったのですが。

「やるしかないと分かっている」というつもりでも、不満が次々湧いてくるというのは結局どこか環境のせいにしていたり、感謝する気持ちを忘れていたりしている証拠なのかも知れません。

今に限ったことでなく私には「感謝」の感覚が欠けています。
昔からそう。
よっぽど意識しないと感謝すべきことに気づきません。
そういうヤツに限って、不満が多いのかも。
自分でもおかしいと思うくらい、些細なことを不満に思う。
傍若無人です。
気が小さいくせに。


よし感謝しよう、と思ってできるものでもないですが、自分が自由に生きられている事実をきちんと意識して謙虚にならなければいけないと思いました。

またイライラするんだろうけど。
一応意識してみます。
自分の性格の悪さで悩んでいます。

グチが多い。
不満が顔に出る。
前より取り繕えなくなっている。

ああ、なんだか母親を見ているようでイヤです。
あんな文句ばかりの人間になりたくない。

こんなことではどんどん嫌われていく。
気がつけば一人なんてこともあり得なくない。

でも文句ばかり湧いてくる。
なんでこんな無責任な人間なんだろうか。
器があまりにも小さいです。

器が小さいから我慢することも増える。
それで不満も増える。
自分で自分の首を絞めているだけ。

だからといって気をつけたところで寛容になれるものでもなく。
すぐに、イラっとして、カチンときて、ズキっときて。

一人で不満と自己嫌悪を行ったり来たり。
一人で勝手に疲れ果てて。
一人で勝手に涙とかあふれてくる。

別に大したことは何もしていないのにこのキャパシティの狭さだもんな。
恥ずかしい。


今週は充実していました。

いろんなものをしっかり食べ、しっかり動き、ジムで汗を流し。

きちんと食べることがすべての根底にあると感じた一週間でした。

飢餓状態の前にはどんな気分転換も効果はない。

逆にごはんを十分に食べていれば、イラついたりや寂しくなったりしても運動や仕事やテレビ、睡眠などで効果的に気分を変えることができる。

食事とおやつと水分、そして睡眠。

これで一週間元気いっぱいに過ごせました。


来週も再来週もこうありたい。
この倦怠感というか、テンションの低さ。

今日ずっと考えてみたのだけれど、多分波が去ったからだと思い当った。

この夏の稀有な出会い、稀有な体験、私にとっては非常にはつらつとしたひと時。
そこにいる人にもそこに立つ自分にも夢を見ていた。
ふだん関わらないような人ととかかわった。
そういうちょっと自分には新しい体験。

でもその後で病はひどくなり、自分の中で目覚めた野心とは裏腹にどんどんひどい生活に傾いていった。

そして今、といっても昨日から、また初心に返ろうと決意した。

私は私の背負ったものに責任を持つこと。
私が向き合うべきものに向き合う事。
そして、自分を正しく評価すること。

それで落ち着いている。
戻って来たという感じだ。

ホッとしている。

ちょっと引きこもりがちで、ちょっといじけ気味。
自分の無力をひしひしと感じている。
情けない思いにもかられる。
それでも物事の核を見失わないように歩く。
何度も思い直して歩く。

そうやって積み重ねていくだけ。

私は幸せになりたいのだ。


なんで?とか、いやだ!とか言ってる場合じゃなくただ現実を認めるしかない。
そして間違ったこだわりをスッパリ切り捨てる。


「だって」とすぐに正当化しようとする自分。
それを放置していたらいつまでたったも呪縛から逃れられない。

今までだってそうだった。


求めるものは、努力によってしか得られない。
なんとなくでは決して得られない。

それを受け入れることだ。
「なんとなく幸せになれる」なんて甘い夢を諦めることだ。


努力の形はどうあれ、努力しなければ私は幸せになれない。

努力して、もがいて、惨めなくらいもみくちゃになって、自分が嫌になって。

でもそこに私らしい幸せがあるはずだ。