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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

太りました。
また。
今日も制服きつくてきつくて。

それでも復活です。
食べて吐かないことを続ける。
健康になる。
ただそれだけでいいじゃないか。

やっぱり生理ってかなり危険なのでしょうか。

とてつもなくウツになり4日間過食嘔吐から抜け出せなった。
惨めさがつのりまくって、号泣し始める始末。
自分の生い立ち、その結果の今の自分。
そういうウジウジは捨てたはずだったのに、過去にこだわらずに今からをどう生きるかが大切なのだと考えられるようになったはずだったのに。
いろんな理性が吹っ飛んでとにかく生きるのが嫌になった。
そんな中では太っている事が憎くて憎くて自分の体型に我慢がならずものすごい醜い塊のように思えてしまう。

生理、甘く見ていた。
手の届くところにたくさんお菓子をおいておいたり、食欲をなめていたり、予定を決めていなかったり、何よりこのウツ状態を覚悟していなかったのが最大の敗因か。

来月は相当気をつけよう。
お金の使い道をショッピングにもっていき、よく眠り、お菓子類を買い込まず、気晴らしをいろいろ考えておく。
などなど。

まだウツの残骸を引きずっているが、おそらく日に日に元気になれる。

太っているのってしんどいけど、今の私に大事なのは間違いなく健康の方なんだよね。
って言い聞かせている。

生理のせいなのかな。
そういうことにしているけど。

昨日は最悪の一日だった。
いろんなことが虚しく、情けなく、自己嫌悪の極み。
一日中惨めだった。
思い出す人思い出す人、すべて腹立たしい、すべて妬ましい。

過食でなくした時間をお金。
青春なんてあったもんじゃない。
食料と吐しゃ物にまみれた毎日。
なんだソレ。

こんな親に育てられたんだからそりゃゆがむわ。
くそオヤジ。

・・と、どんどん惨めさの深みにはまる。
半分わざと。
そうやって思い切り落ち込みたい気分だったのだ。

恐れていた事。
人のことを見下している間に、その人に追い越されること。

悪口ってそう簡単にくちにするもんじゃない。
分かっているのに批判がつもって、環境に甘えて言わずにいられなくなる。
だから人と親しむのが怖い。
相手に気を許して垂れ流しになってしまう。
いつも後悔する。

悪口でなく、批判したいのに、私はそんなに大人ではなく、嫉妬や妬みの比率が大きくなる。
冗談に交えていたってつもりつもればイヤなヤツだ。

こんな風に後悔しても、もっと時がたてばやっぱりイヤなもんはイヤだと思う。
撤回するべきだと思うわけじゃない。

しかし言葉にして発してしまうとそれ相応の責任を負う事になるわけで。
秘めているうちは否定も反省も考え直すことも自由なわけで。

負の感情は消化できないときは封印することも必要なのだと思う今日この頃。
自分の平安のために。


私は自分の感性を言葉にして表現していい程の度胸も覚悟もないのだなと実感する。
卑屈な意味でなく、そういうことなのだと思う。


タバコがいまだ断てず。
本気でとめなきゃ。

そういえば去年もこの時期から1、2ヶ月喫煙にはまったのでした。
寒さと人恋しさのせいかしら。

前回も今回も、彼のもらいタバコがエスカレートして喫煙習慣がついてしまいました。
吸う人が周りにいなければ思い出すこともないのに、いつも横で誰かがスパスパしているとちょっと一服したいなあという気持ちが目覚めてしまう。
ダメだな。

今回は過食ストップと引き換えのように始まりました。
そろそろ潮時。

実は吸っても良い事はありません。
ただ中毒で吸いたくなるだけで、気持ちいいように感じるのは一服した瞬間だけで、その後はひどいもんです。
気持ち悪いし、だるいし、気力が落ちるし。
明らかに私の体には全く合わない。
しかも、吸う場所もないのに吸いたくてイライラしたり。
過食衝動と同じく、生活に邪魔な衝動が湧いてくる。

私にとってはこれだけデメリットだらけな行為なのに、吸いたくなるというのがクセモノです。

やめて一週間もすれば平気になることや、やめた後にせいせいするのも分かりきっている事。

知識と経験はある。
あとは強い決意だけ。

まったくもう。
バカな私だ。
自分も含めてある程度幸せだから言えること、できることがある。

とことん不幸せなとき自分は本当にダメだ。
何も頑張れない。

つい2年前の自分が今の自分のブログを見たら、「ケッ。幸せなヤツが好きなこと言ってらぁ」くらいに思うかもしれない。

ダメなときは他人の幸せを一切受け付けない。
自分より幸せな人間のいう事は一切認めない。

認められないのだ。

少しはマシになった今でも受け入れられないものにがんじがらめになっている。

こんなに心の狭い人間になったのは遺伝子のせいと、親のせいと思っているところがある。
遺伝子のせいというのは自分が生まれつき持っている性格の汚さ。
親のせいというのは心の狭い親に育てられたからということ。

人に愛されている実感がなく生きてきた。
いつも不安。
家族を思い出すと余計に不安になる。
こんな家族の一員であることが恥ずかしいとも思っていた。

嫌われたくない。
その反動で人を憎む、妬む、さげすむ。

そういうサイクル。
頑張って良い人間になろうと思っても、心に基盤がなくてすぐにぐらつく。
人間として最低限必要な自信というか。

ただ、それを打開するかしないかは気づいた人次第。

私は打開したいけど、時々疲れるんだ。
もともと愛情を受けて育てばそもそもここまで苦労しなくていいのにと考えてしまう。

彼は
「俺はいろいろ辛い事もあるけど、子供のころ親に愛されて幸せだったから前向きになれるんだと思う」
と言った。
彼は人にも感謝するし、人のことも大事にするし、私にない人間として必要な能力をたくさん持っている。

かなうわけないよ。
ずっと私は嫌われるのを恐れてやっていくしかない。

なんて思う事もしばしば。
クセのいじけモード。

グチが止まらないな。