吐かないこと。
これ一点です。
私が今一番核にしているのは。
何をどう間違っても、嘔吐はだめ。
これはもう社会的責任くらいに感じています。
今のゆるい生活が許されていることや、
人生を楽しむ機会を与えられていることや、
これまでさんざん甘えてきたことや、
この先私が責任をもたなければいけないことや、
いろいろなことに対しての
責任。
嘔吐をやめることが私の責任のような気がしています。
自分の幸せのためでありながら、同時に他人への義務でもあるような。
お金を稼ぐための仕事のような。
自分勝手にやめられないような束縛感を感じています。
いいことだと思っています。
今何かと調子がいいものんだから、周りを考えるゆとりなんかがあるのだと思います。
この機会に行けるとこまで行くつもりで頑張ります。
前の仕事を辞めて2年近くがたつころ再び働き始めようと思い始めました。
自分は心の病気だから社会からしばらくさよならして療養しなければ。
そう思って突入したニート生活でした。
何もかもうまくいかず、ひたすら逃げ出せることばかり願って過ごしていました。
苦しくておかしくなりそうという思い。
いっそのこと狂ってしまうくらいおかしくなりたいという思い。
しかしそれは間違っているという葛藤。
少し話が逸れますが、その頃いつも考えていたことがあります。
それは「『過食症』以外のこころの病気だったらよかったのに」ということです。
実際の苦しみも知らないくせに、
「〇〇病」という何か別の病名がほしいと思っていました。
「過食症」以外の病名、何かもっともらしい病名。
社会に通用する肩書きになるような病名。
「過食症」では恥ずかしいし誰も理解してくれないが、
ほかの病名なら認めてもらえるし、助けてもらえる気がしていたのです。
なぜ自分はこのわけのわからない病気なのか・・。
治療法もわからない。
これといった特効薬もない。
症状が汚らしい。
いつもいつも、「不公平だ」と思っていました。
他人の芝生は青く見える、ってやつでしょうか。
いずれにしろどうしようもない心理状態だったということです。
通院もカウンセリングも入院もだめ、お金もない、
親に寄生していることの劣等感、その親も金銭的に参っている。
人の力を当てにして、頼って頼りつくして、いろんなことに限界が来ていました。
潮時だったのだと思います。
これはもう働くしかない、そう思い始めていました。
実は働くくらいの元気があることは自分で分かっていました。
世間が怖くて面倒でしたが、とにかくお金が欲しくなりました。
毎日仕事に通うという当たり前の日常生活が欲しくなりました。
いきなり正社員は無理だが、パートくらいからならできそうだと考えました。
たしか一番の働く動機は「お金」だったと思います。
自分の費用を自分で払って劣等感を払拭したい。
自分で勝手に使えるお金がほしい。
過食費用はもちろん、ほしいものを誰にも断らずに買いたい。
こうして、パートの仕事をみつけて約2年ぶりに社会復帰をしました。
過食嘔吐は依然として続きましたが。
自分は心の病気だから社会からしばらくさよならして療養しなければ。
そう思って突入したニート生活でした。
何もかもうまくいかず、ひたすら逃げ出せることばかり願って過ごしていました。
苦しくておかしくなりそうという思い。
いっそのこと狂ってしまうくらいおかしくなりたいという思い。
しかしそれは間違っているという葛藤。
少し話が逸れますが、その頃いつも考えていたことがあります。
それは「『過食症』以外のこころの病気だったらよかったのに」ということです。
実際の苦しみも知らないくせに、
「〇〇病」という何か別の病名がほしいと思っていました。
「過食症」以外の病名、何かもっともらしい病名。
社会に通用する肩書きになるような病名。
「過食症」では恥ずかしいし誰も理解してくれないが、
ほかの病名なら認めてもらえるし、助けてもらえる気がしていたのです。
なぜ自分はこのわけのわからない病気なのか・・。
治療法もわからない。
これといった特効薬もない。
症状が汚らしい。
いつもいつも、「不公平だ」と思っていました。
他人の芝生は青く見える、ってやつでしょうか。
いずれにしろどうしようもない心理状態だったということです。
通院もカウンセリングも入院もだめ、お金もない、
親に寄生していることの劣等感、その親も金銭的に参っている。
人の力を当てにして、頼って頼りつくして、いろんなことに限界が来ていました。
潮時だったのだと思います。
これはもう働くしかない、そう思い始めていました。
実は働くくらいの元気があることは自分で分かっていました。
世間が怖くて面倒でしたが、とにかくお金が欲しくなりました。
毎日仕事に通うという当たり前の日常生活が欲しくなりました。
いきなり正社員は無理だが、パートくらいからならできそうだと考えました。
たしか一番の働く動機は「お金」だったと思います。
自分の費用を自分で払って劣等感を払拭したい。
自分で勝手に使えるお金がほしい。
過食費用はもちろん、ほしいものを誰にも断らずに買いたい。
こうして、パートの仕事をみつけて約2年ぶりに社会復帰をしました。
過食嘔吐は依然として続きましたが。
この時期から抜け出ようと考えたのは徐々に徐々にだったと思います。
病院だとか、人が治してくれるとかいったことに絶望し、
自分で治すか、もしくはつきあっていくしかないと思ったのは覚えています。
2年間通院してカウンセリングをうけましたが、これ意味あるの?といつもイラついていました。
入院も4週間、2週間、1週間と3度しました。
最後の入院は入院中もコッソリ過食してしまい、もうヤケクソ状態でした。
さらに、とある断食道場に行ったこともあります。
八方ふさがりの中で見つけた施設です。
ある医者が設立したセンターです。
今思うと、私に言わせればあれはもう「サギ」です。
生きることの素晴らしさ、感謝することの素晴らしさ、なんかを教科書通りに説教されて
めちゃくちゃガッカリでした。
親に頼み込んで払った大金。
今すぐ返してくれ、と思いました。
「そんなきれいごとで心を入れ替えられるくらいピュアな女なら
とっくに治っておったわ。バカタレが。」
失望してからはただひたすら断食プログラムの苦しさに耐えるだけの毎日。
心境の変化なんてこれっぽっちもありません。
そんな心がけでは当然何も改善されるはずもなく、
その合宿の帰りの汽車で過食嘔吐したというオチです。
今だったら私の性格からして「あほらしい」と一蹴してしまうようなその道場の謳い文句に
当時は最後の希望を見出しました。
もうこれしかない・・と切実に思いました。
それだけ、ワラにもすがりたい気持ちだったのでした。
思い出すとちょっと切なくなります。
最後の手段と思って涙涙で母にお金を出してもらったこの合宿も
私には効果がなかった。
呆然としました。
その後自分の気持ちがどんな風に流れていたかはっきりとは覚えていませんが、
施設という施設がダメな結果に終わり、
ようやく自分で治すしか道はないのだと思い始めたのでした。
病院だとか、人が治してくれるとかいったことに絶望し、
自分で治すか、もしくはつきあっていくしかないと思ったのは覚えています。
2年間通院してカウンセリングをうけましたが、これ意味あるの?といつもイラついていました。
入院も4週間、2週間、1週間と3度しました。
最後の入院は入院中もコッソリ過食してしまい、もうヤケクソ状態でした。
さらに、とある断食道場に行ったこともあります。
八方ふさがりの中で見つけた施設です。
ある医者が設立したセンターです。
今思うと、私に言わせればあれはもう「サギ」です。
生きることの素晴らしさ、感謝することの素晴らしさ、なんかを教科書通りに説教されて
めちゃくちゃガッカリでした。
親に頼み込んで払った大金。
今すぐ返してくれ、と思いました。
「そんなきれいごとで心を入れ替えられるくらいピュアな女なら
とっくに治っておったわ。バカタレが。」
失望してからはただひたすら断食プログラムの苦しさに耐えるだけの毎日。
心境の変化なんてこれっぽっちもありません。
そんな心がけでは当然何も改善されるはずもなく、
その合宿の帰りの汽車で過食嘔吐したというオチです。
今だったら私の性格からして「あほらしい」と一蹴してしまうようなその道場の謳い文句に
当時は最後の希望を見出しました。
もうこれしかない・・と切実に思いました。
それだけ、ワラにもすがりたい気持ちだったのでした。
思い出すとちょっと切なくなります。
最後の手段と思って涙涙で母にお金を出してもらったこの合宿も
私には効果がなかった。
呆然としました。
その後自分の気持ちがどんな風に流れていたかはっきりとは覚えていませんが、
施設という施設がダメな結果に終わり、
ようやく自分で治すしか道はないのだと思い始めたのでした。
お恥ずかしい話、とことんお金がなくなると
次は「盗み」に走りました。
家族の財布からお金をくすねるのです。
母、父、妹。
バイト先の惣菜。
道に小銭がないかをいつも気にする。
これは病気のせいもあるでしょうが、
自分の未成熟さのせいでもあると思います。
欲望を抑えることができずに何が何でも満足しようとする。
駄々っ子のように必死に獲得しようとする。
年を取るに従って自分のあらゆるマズイ習性が表に出ないよう
いろんなルールができました。
たとえば・・・
前にも書いたように、クレジットカードは絶対に持たない。
「盗っと」が目覚めないように、自分の費用は自分で稼ぐ(仕事をする)。
物欲を正常に抑えるために、劣等感を刺激されすぎる現場は避ける。
このルールを逸脱したり、油断したりで失敗することもよくありますが。
さて当時に話を戻します。
盗みは習慣化していきました。
自分の予算に、普通に財布をくすねて得る現金が組み込まれているのです。
そうは言っても、うちの家族だって金持ちではありませんから
多くて1000円、たいていは小銭一枚とか。
(今これを書くために思い出していくとかなり憂鬱になります。
異常なことを続けていた自分。)
財布のなかに小銭やお札の枚数が多いともっとごまかせるかな・・と思ったり。
うまくチャンスがつかめないと猛烈にイラついていました。
過食ができないじゃないか・・!と。
仕事も気力もお金も自信も行動力も、何もないのに
ただひたすら劣等感と過食衝動だけは激しく襲ってきました。
食べたい食べたい食べたい
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい
食べたい食べたい食べたい・・・
そのループです。
次は「盗み」に走りました。
家族の財布からお金をくすねるのです。
母、父、妹。
バイト先の惣菜。
道に小銭がないかをいつも気にする。
これは病気のせいもあるでしょうが、
自分の未成熟さのせいでもあると思います。
欲望を抑えることができずに何が何でも満足しようとする。
駄々っ子のように必死に獲得しようとする。
年を取るに従って自分のあらゆるマズイ習性が表に出ないよう
いろんなルールができました。
たとえば・・・
前にも書いたように、クレジットカードは絶対に持たない。
「盗っと」が目覚めないように、自分の費用は自分で稼ぐ(仕事をする)。
物欲を正常に抑えるために、劣等感を刺激されすぎる現場は避ける。
このルールを逸脱したり、油断したりで失敗することもよくありますが。
さて当時に話を戻します。
盗みは習慣化していきました。
自分の予算に、普通に財布をくすねて得る現金が組み込まれているのです。
そうは言っても、うちの家族だって金持ちではありませんから
多くて1000円、たいていは小銭一枚とか。
(今これを書くために思い出していくとかなり憂鬱になります。
異常なことを続けていた自分。)
財布のなかに小銭やお札の枚数が多いともっとごまかせるかな・・と思ったり。
うまくチャンスがつかめないと猛烈にイラついていました。
過食ができないじゃないか・・!と。
仕事も気力もお金も自信も行動力も、何もないのに
ただひたすら劣等感と過食衝動だけは激しく襲ってきました。
食べたい食べたい食べたい
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい
食べたい食べたい食べたい・・・
そのループです。
最初の仕事を辞めたのは働き始めて2年半ていど、
たしか27歳頃でした。
今よりだいぶ愚か者だったなとつくづく思います。
今も幼稚ですけど、そのころはもっともっと考えが甘かった。
当時の自分もそれは自覚していたのだけど、どうしても物事を深刻に考えられなかったのです。
大人としての責任感がほとんどゼロでした。
周りの同年代に比べて精神年齢が遅れていることに劣等感を抱き、どこかいじけていました。
口癖は「死にたい」
でも死ねない自分を自分で笑う・・みたいな日々。
その気配は、今でも少し残っています。
基本的に自分が嫌いなのです。今でも。
ただ今は、開き直ることを覚えた。
どうせならなるべく楽しくいきたい。
自分が嫌いだろうが、なんだろうが、なるべくいい方向に行きたい。
私にとって、自分を好きなことは今のところ不可能ですから
むりやり自分を好きになることはやめました。
それはかえって自分にうそをつくことになり、正直きもちわるい。
嫌いでよし。ならばうまく付き合える道を探そう、というわけです。
そんな感じが私にはしっくりきます。
強情なんです。
引いてやると素直さが出てきたりこなかったり。
精神論が長くなってしまいました。
辞めたばかりのころは浮かれていて
次は素敵な仕事が見つかって、病気も改善して、彼氏もできるかもしれない。
という何の根拠もない期待と勘違いにフワフワしていました。
毎日のようにカフェに行ってみたりして、自由人を気取っていました。
当然お金はなくなります。
貯えもないし、本当は借金もあるのに、遊びにお金を使う。
今思い出しても顔から火が出そうなくらい恥ずかしい勘違いにおぼれていました。
やがて、つぶれます。
当然です。
好きな人に振られ、お金も底をつき、過食はすぐに激化。
食べること以外は何もできず寝てばかりの日々。
いくら吐いても太りました。
ますます引きこもりになりました。
お酒にもはまってしまいました。
ジンやウォッカ、焼酎など、度数の高いお酒を毎日のように飲んでいました。
人にも会いたくない。
数少ない友人ともだんだん疎遠になり、
2年近く誰にも会わないし連絡もとらないという状況が続きました。
その間になんとかしていたのは、短時間のアルバイトをしたり、通院したりでした。
たしか27歳頃でした。
今よりだいぶ愚か者だったなとつくづく思います。
今も幼稚ですけど、そのころはもっともっと考えが甘かった。
当時の自分もそれは自覚していたのだけど、どうしても物事を深刻に考えられなかったのです。
大人としての責任感がほとんどゼロでした。
周りの同年代に比べて精神年齢が遅れていることに劣等感を抱き、どこかいじけていました。
口癖は「死にたい」
でも死ねない自分を自分で笑う・・みたいな日々。
その気配は、今でも少し残っています。
基本的に自分が嫌いなのです。今でも。
ただ今は、開き直ることを覚えた。
どうせならなるべく楽しくいきたい。
自分が嫌いだろうが、なんだろうが、なるべくいい方向に行きたい。
私にとって、自分を好きなことは今のところ不可能ですから
むりやり自分を好きになることはやめました。
それはかえって自分にうそをつくことになり、正直きもちわるい。
嫌いでよし。ならばうまく付き合える道を探そう、というわけです。
そんな感じが私にはしっくりきます。
強情なんです。
引いてやると素直さが出てきたりこなかったり。
精神論が長くなってしまいました。
辞めたばかりのころは浮かれていて
次は素敵な仕事が見つかって、病気も改善して、彼氏もできるかもしれない。
という何の根拠もない期待と勘違いにフワフワしていました。
毎日のようにカフェに行ってみたりして、自由人を気取っていました。
当然お金はなくなります。
貯えもないし、本当は借金もあるのに、遊びにお金を使う。
今思い出しても顔から火が出そうなくらい恥ずかしい勘違いにおぼれていました。
やがて、つぶれます。
当然です。
好きな人に振られ、お金も底をつき、過食はすぐに激化。
食べること以外は何もできず寝てばかりの日々。
いくら吐いても太りました。
ますます引きこもりになりました。
お酒にもはまってしまいました。
ジンやウォッカ、焼酎など、度数の高いお酒を毎日のように飲んでいました。
人にも会いたくない。
数少ない友人ともだんだん疎遠になり、
2年近く誰にも会わないし連絡もとらないという状況が続きました。
その間になんとかしていたのは、短時間のアルバイトをしたり、通院したりでした。