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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

この頃、少し肉のついたメリハリのある体が美しいと思うようになりました。

ずっと、少年のようなペッタンコなスレンダーボディにあこがれていて、
自分を「ムチ」とか、「ポチャ」などと形容されると傷ついてきました。
ちなみに私はわりと痩せても「ムチっ」感があるタイプです。
女性らしい体つき、というのがとにかく嫌でした。

最近、私を含めた女性の多くが信じている「痩せた体=美しい」
ということについてずっと考えています。

私の頭の中で、
自分やたくさんの人がこの概念にとらわれて苦しんでいることや、
自分自身が痩せただけでは美しくも幸せにもなれなかったことや、
身近ないろんな体型の人々のいろんな生き方のことなど、様々な考え事が重なり合っています。

「痩せたい」願望に捕らわれ続けてきた反動で、
今度は「痩せすぎ=美しくない」という逆の価値観に極端に走っているきらいがあります。

どちらをどうとらえるにしろ、
何かを否定して別の何かを正当化する、というバランスのとり方はとても不安定なものです。
ふとしたきっかけでそのバランスは崩れてしまいます。

ただ、今まで否定し続けてきたものを受け入れる気持ちになれたことにはホッとしています。
体型そのものを価値観に取り入れすぎないようになれればもっといいのですが。
職場。

もともと生活の為に参加するコミュニティなので、
自分と合わない人だらけ、というのが当然と言えば当然です。
その上、仕事で繋がっていますから、様々な利害関係というのが絡んできて、
人のイヤな面がたくさん見えてくる。
「人」というのは自分自身も含めてです。

残業が嫌で内心ヒステリックになっている自分。
面倒になりそうなことを嗅ぎ付けて、見て見ぬ振りをしている自分。
無神経な言動をしてしまう自分。
人の目ばかり気にしている自分。

それらと同じような事をしている(ように見える)他人。
自分とは価値観が大きく違う他人。
私の許容できない行動をとる他人。

そして、そんな自分の内面が全部バレているのではないか、という恐怖感。
自分の行動が重大な問題を引き起こすのではないかという重圧。

そうやって、ビクビクして、イライラして
1日の大半をすごさなければならないのが私にとって「働く」という事です。

今までどの職場でもこのギスギスした状態が耐えられなくなって、
3年前後でやめてしまいました。
何度も何度も、このご時世に辞めてどうするんだ、と思い直すのですが最後はダメ。
職場も職場の人々も会社も何もかも大嫌いになって、
この先この職場に一生いると思うと人生に希望が持てなくなって、逃げ出す。

なぜ、こんなに弱いのかな、と嫌になります。
だって生活のために耐えている人はいっぱいいるはずだし、
こんなに辛いのは、他人の価値観に振り回されているということだからです。
自分の考えの狭さや我がまま、思いやりのなさが故の無駄な擦れ違いだってあると思います。

ストレスから逃がれることも必要だけど、
自分が成長することで物事の見方を変える努力もしないといけないんだろうな。


今の私にとって、体重より何よりお腹が出ていることが一番のコンプレックスです。
もう痩せなくても、下腹がひっこめばそれでいいと思っているくらいです。

周りの女性を見ていてもいつも下腹ばかり注目してしまいます。
多少太っていても引き締まっている人は本気で羨ましい。

このコンプレックスが体重の数値に転化されてしまうのです。
そんなときは、体重に振り回されている自分に問いかけてみます。

 ちょっと待って。
 今の体重でお腹さえ引っ込んだら私は随分幸せなのではないか?
  ― そうか。問題はお腹か・・。

このお腹って運動不足や姿勢の悪さもあるかも知れないけど、
栄養の偏りや内臓を痛めつけてきたことも関係しているのではないでしょうか。
だとしたらやっぱり吐くのをやめて食生活を正さないと、と思えます。

二の腕が太いとか顔がでかくて下膨れとか二重あごとか手のひらが美しくないとか
自分のルックスにはいろんな難点があります。
少し前までは、考えると消えたくなるほど全部が全部いやでした。
けど最近は全部個性に変えることができると思えるようになりました。
そうしないと一生人生を楽しめないからです。
その気になって観察してみると、いろんな人が愛嬌いっぱいに楽しく生きているものです。

ところが、自分のお腹だけは許せないのです。
恥ずかしいと強く強く思ってしまいます。
誰でもなんとかできる部分と思っているだけに諦めきれないのかもしれません。

これもすぐにはどうしようもないことだけど
努力を続けていけばいつか改善されることだと思うので、
少しずつやっていきたいと思います。


おかしなタイトルですが、そのまんまです。

今日、家の買い出しでスーパーに行きました。
やっぱり、お菓子だとかパンだとか、徳用の袋ものだとか、惣菜だとか、
反応してしまいます。
当然。
よせばいいのに、今日はわざと一つ一つを眺めて回ってしまいました。
一つ一つに思いをはせて。

例えばプリングルス。
普通の人はこれを買っても、かえっていきなりオープンとかでなく、
明日ちょっと食べようと思っていたり、ただの買い置きだったり、
映画をみながら食べようと考えていたり、
そして食べ始めてもある程度のところでやめようって思えたり、そんな風なんだろうな・・。

自分には、こんな食材たちをなんの抵抗もなく罪悪感もなく、
ひょいっと手にとれる日は来るのだろうか。
何故この食材たちをこんなにも深刻な気持ちで見つめなきゃいけないんだろう。
私って滑稽だ。

と、自分を憐れむ言葉を思いつきたいだけ思いついていました。
自ら切くなる方向へ突き進んでいきました。

嘔吐をストップして以来、普段は、今までの克服の挑戦に比べてわりと明るく過ごせています。
そのことが逆に不安というと変ですが、心のどこかでいつも疑っています。
現実逃避をしているだけで、どこか勘違いしているのではないか。
本当はもっと頑張れるはずなのに、療養にかこつけて甘えているのではないか。
異常な生活を十数年続けてきた私がまともになれるはずない。

またその一方で、
嘔吐しないことがうまくいっていることに対して罪悪感を感じてしまうのです。
今まで散々、克服した人々や、あるいは身の回りの人々の幸せを妬んできたものだから、
いざ自分の物事が順調に進むと罪悪感を感じてしまう。
それは同病の人に限らず、家族や知人に対してもです。
自分がうまくいっていることで人に憎まれてしまうような気になります。
こうなることは分かっていたけどこれまで妬み続けてきました。
自分がしてきたことの報いなので、自分で消化するしかありません。

こういう整理のつかない思いが少しずつたまっているのは何となく気づいていました。
ここ2、3日はイライラ続きです。

でも、大丈夫です。
私は何が何でも克服しないといけません。
35年間自分のことを嫌悪し続けてきたのでもう十分だ、そう思うことにしています。

一度陥ってしまった悪癖は簡単には消えない。
今はただ癖を矯正し続けるしかありません。

10年後には、スーパーで切なくなるなんて事も無くなっているはずです。




今ごはんを食べたところで、また眠たくなっています。
タイピングの手が止まると目をつむってしまいそうです。
これを書いたらひと眠りします。
こんな時早く働き始めないとな・・と考えます。

飴のことで悩んでいます。
私は毎日飴を10~20個なめてしまいます。
これだけでも1食に近いカロリーになりかねないし、
こんなに糖分をとっても良いのか、と不安になります。
この大量の飴が食事改善の妨げになっているとしたら残念すぎます。

今日から飴を買うのをやめてみようかと思います。
あるとなくなるまでなめ続けてしまうからです。

自信ないですが、これも慣れかもしれないのでやってみます。