過食と私 -21ページ目

過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

ここまで落ちるとなかなかあがれないものです。
だいぶ久しぶりのどん底です。

何を考えても自分がいやだというところに行きつく。
こんな時にブログを書くと何を言っても自己否定のオンパレードになります。

酒を飲んだら飲まれてしまうのに似たかんじの、どうしようもなく愚かな面があって、日頃どれだけ気を付けていても、ちょっとの油断で愚行に走ってしまう。
周りの冷たい目が怖くて仕方ない。
それを自分に笑って許してやるにも限界があり、限界を過ぎてしまったというわけです。
毎日泣けます。

こういう自分を抱えている限り、もしかしたら幸せになんて永久になれないのかも。
幸せがあっても自らの行動によって壊してしまうから。

だめですね。
いくら考えても自己否定にしかなりません。



さて、過食嘔吐の件。

どうなっても私はこの病気は克服します。
生きる喜びがなくなっても、大事なものを失って悲しくなっても。

生きていくためにはお金が必要だから。
何があっても食べるべきものを食べて、過食衝動を防ぎます。

太って悩むとか、自分が嫌いとか、人間関係がうまくいかないとか、人の目ばかり気にしているとか、もろもろ全ての生きづらさは、過食嘔吐してもしなくても同じです。
過食嘔吐に全く意味はない。

こんな面倒な自分を抱えた上に過食と嘔吐だなんてもうまっぴらです。

私はこの病気に感謝なんてない。
病気になって良かったとか、なったことに意味があったとか、絶対に思わない。
なくて良かったし、忘れたい。
この病気に意味なんてない。

この病気に苦しんで、克服しようとしていることには意味があるけれど、そもそもなければ良かったと思います。

病気になんてならなくても、人間いろいろ考えるのだから。
私はこの病気がただ憎いです。
この病気になるような自分が嫌いです。
諦めたけれど嫌いです。










ここへきて体重増加が止まりません。

体重計に乗らなくてもわかるのです。
中年太りのような体型がどんどんひどくなるのです。

吐かないけど、食べる量を減らせません。
減らしたらいけないような気もします。
でもまた増え始めたってことは単純に食べ過ぎているのか。

何をどう調節したらいいのかわからない。
なんだか何もする気がしなくなってきました。
希望がわかないのです。

太ったらこんなにも弱気になるのですね。
悲しい価値観だな。



・・・と言っていても何も良くならないです。
良くなるはずがない。

吐かずに食べ初めて一ヶ月半です。
まだ一ヶ月半。
失敗だってする。
うまくいかないこともある。
精神的にもそんなに強くないわけだし。

少しずつ自分の食べ方を習得していくしかありません。

一生つきあう体なので、ここで泣き寝入りしても仕方のないはなし。
一年後に、健康な自分でいるためにはまだまだ試行錯誤が必要のようです。

しんどいけど、いつかは安心して暮らしたいから。





今日は朝目が覚めた瞬間から思い浮かぶ言葉が「消えたい」「死にたい」
ばかり。
癖ですかね。
いたたまれなくなると「死にたい」って簡単に発するのは。

ここまで落ちるのは久しぶりかな。
平気でそんな言葉を口にしてしまう。
口にすることで何かを解消しているのだろうか。



人と関わっているとその内こうなる。
何も変わっていない。
自分が抑えきれなくて、変な形ではじけちゃって、恥ずかしさと後悔でどうしようもなくなる。
笑っている自分も、優しくしている自分も、自分の意見言っている自分も、誰かにツッコミいれてる自分も、全部が全部恥ずかしいです。

あふれかえる自己主張をなんとか抑えつつ、それでも抑えきれない持ち前の傲慢さがポロポロと表にこぼれて、その都度後悔する。
そのうち、頭の中は収拾がつかなくなって面倒になって「この場から消えたい」という結論にたどりつく。

これからやっぱりずっとこうなんだ。自分て。
人と関われば関わるほど、自分が嫌になる。

どうしてこんな風なのだ。
恥ずかしい。
本当に恥ずかしい。
あの人にもあの人にもあの人にも、軽蔑されているのかな、わたし。


こうなるとダメなんですね。

全ての自信のなさが体型につながっていくのです。

昔よりはマシになったけれど、今日もまた、このグループで何番目に太っているからまだマシだ、とか考えました。

しばらく忘れられていたこの感覚がここ2、3日でまたひどくなりました。

いろいろと自分が嫌で、どう冷静に考えてみても、やっぱり自分は欠落している事が多くて、許そうと思っても許せない。
どうにか前向きに考えようとしてみても、今の自分が恥ずかしくて仕方ない。
私と深くかかわっている人に対して、申し訳なくもなる。
嫌われていくのも時間の問題だと思えてくる。

こんな考え方が自分を追い詰めるだけだと分かっていても、切り替えることができません。

私はなぜこんなに恥ずかしい人間なのか?

生きていたくなくなるのです。

こうなると、体型に対する意識がものすごく敏感になってくるのです。

自分は人間的に良いところが何もない上に、視覚的な要素である肉体も醜い。
素っ裸にされて立たされているような気がしてきます。

間違っていると分かっていても、とらわれてしまうこの感覚。
頭で言い聞かせても、その場で動揺している自分の心はどうにもできません。


今の純粋な思いは、ごまかすことなく言ってしまえば、
痩せたい。
それだけです。
もう自分の内面なんかよりも先に痩せたい。
そう思ってしまう。
自己嫌悪に疲れちゃって。




過食嘔吐がない生活。
これが自分にとってどれだけ大きな意味を持っているか。
忘れていたかもしれない。


昨日、ニュースで、自分の家を解放して児童文庫を開いているあるお年寄について報道していました。
自宅に本棚を設けて寄付された絵本や児童文学の本を所狭しと並べています。
週末などになると子供たちが集まってきて本を読んだり、読み聞かせをしてもらったりするのです。

「過食があったらこれ絶対むりだよな」
私は、ふとこう思ったのです。
その家のおじいさんの穏やかな笑顔を見ながら、そのゆとりのある姿が「過食持ち」とは真逆のものとして私の目に映りました。
過食に追い立てられていたら、精神的にも物理的にも他人をゆっくり受け入れるなんて到底無理です。

思えばこれまで何かにつけてこんな目で見てきました。
過食に駆り立てられる焦りといら立ち、過食に費やすお金と時間、過食でつのる劣等感。
これらを抱えながらできることは本当に限られてきます。

何を見ても「過食」との対比につながって、テレビを見る事ができない時もありました。


「過食があったら絶対無理」
今日そう思ったとき、気が付きました。
自分は今、過食に追われていない。

もしこのまま克服できれば、あのおじいさんと同じような事だってできる。
「どうぞどうぞ」と自分のテリトリーに他人を招くことだってできる。
(そうしたいかどうかは別として)

過食がやんでいることがすごく大切な意味をもっていることを思い出しました。
そう思うと少しだけ元気が出ました。

体型は気になるし、仕事探しも焦る。
それでもそこに過食嘔吐という暗雲だけは消えている。

時々心に刻みなおさなきゃいけない、と思います。

もともと病気がなかった人とは違うのだから。