皆様お疲れ様です。
大晦日の日
私は仕事でした。
まぁ、それはいつもの事なので
なんとも思わないんですけどね。
仕事しながら色々と
思い出していたんです。
私が結婚してからしばらくは
大晦日といえば
奥さんの実家で過ごすのが
毎年恒例の事でした。
当時は仕事が夜9時まであって
仕事終わりにそのまま奥さんの実家へ
既に奥さんと子供達が義姉や従兄弟と
楽しそうにしてて、私が家に着くと
義母が「お疲れ様~」と温かく迎えてくれました。
子供達は義父と遊んだりしてるんですけど
私が帰ってくると今日あった事などを
しきりに伝えてくるのですが
私はもうお腹ぺこぺこ
わかったわかったー。と聞いてると義母が
「ほら、パパちょっとおなかすいてるから
食べさせてあげてー」なんて言ってね
絵に書いたような
幸せな家族の一コマが
そこにはあったなぁ
そんな事を急に思い出したんです。
思い出したら思い出したで
なんか悲しくなりましてね…
だって
義父は既に他界
長男も亡くなってしまいました。
そして義母は未だに意識が戻っていない
なんなんだよ、これは。
そう思っても仕方ないくらい
あの頃とは全然違う私達の環境
奥さんはその前の日に
「もう、私の実家は無くなったな…」と
ポツリと言ってたんですよね。
そんな事も思い出し
余計に色々と考えてしまってね…
仕事中でしたが
ものすごく寂しい気持ちになってしまいました。
しばらくその事を考えていたんですけど
幸せはいつか壊れてしまうものなのか?
そんなふうに思ったんです。
でも
それは違うんじゃないか?
そうとも思いました。
確かに私が今思っている幸せの形は
壊れてしまった。
だけどまたそれを今度は私が作ればいい
というか元来人間というものは
そういうふうにして
幸せを紡いで来ているんじゃないのかと。
例えば私の両親が子供の頃は
祖父母が両親であって
更に曾祖父母が居たわけですよね。
この時はこれがきっと
完璧な幸せの形だったはずなんです。
でもそれはもう無くて
今は曾祖父母からしたら
知らない私達がそれを紡いで形作っている。
そう考えたら
とても悠久の時の流れみたいなものを
感じたんですよね。
言ってしまえば100年前とかだって
そうだったんだと思うんです。
それがずっと紡がれ続け
今の形となっている。
私達としてはそこに
「逆縁」という要素が加わってしまったから
ちょっとややこしく
なってるだけなのかもしれません。
でもこの紡がれた幸せは
やはり私も紡いでいかないといけない
そんな気がしたんです。
もし将来
孫が生まれたりしたとしたら
やっぱり温かい家族でいたい。
それを子供や孫の代まで
形を変えながら幸せを紡ぎ
私達家族のカラーや楽しさを
伝えていかないとなって。
長男だって空から見てて
そんなのはウチじゃない!なんて
思って欲しくないですからね。
だから結局は
自分が楽しんで生きていくっていう
私の考えの原点に戻ってくるわけです。
自分が楽しくなきゃ
周りの人は絶対楽しくないですからね。
そんな事を思って
改めて気合いを入れ直した
大晦日のお話でした。
大晦日にもつ鍋食ったーーー!
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