皆様お疲れ様です。
長男が亡くなってから
私は嫌いになった言葉があります。
それは
神様は乗り越えられない試練は与えない
という言葉
だって無理だもん
乗り越えられません(笑)
それに仮に
神様が乗り越えられると思って
私にあんな試練を与えたのだとしたら
正直どうかしてる。
私の事
どんな人間だと思っているんですか?って
胸ぐら掴んで聞いてやりたいくらいです
今回はそんな「試練」のお話。
「個人的見解」というやつです(笑)
そもそも
「試練」って
他人が決めるものではないと思っていて
自分が何かの問題などに直面した時
「これは試練だなぁ」と
思ったものが「試練」だと思うんです。
だからたとえ神様であっても
他人から試練だと後付けで言われるのは
試練ではないと思います。
映画とかにありそうなやつで
師匠が弟子に言いそうな
「この試練を乗り越えてみせよ!」
みたいなのは
試練だと思いますけどね。
話が逸れました(笑)
それで私
「試練」という言葉の意味を
調べてみたんです。
まず
似た言葉の「困難」は
客観的に見た状況そのもので
「試練」は
成し遂げたり乗り越える事を
主観的にとらえたものになります。
つまり「試練」とは
乗り越える事を前提とした言葉で
ものすごくポジティブな意味合いがあります。
これ、調べてみて
自分でものすごく納得しちゃったんですけど
だから最初に書きました
神様は乗り越えられない試練は与えない
という言葉が
私は大嫌いなんだなぁと。
全然乗り越える前提じゃないし
ポジティブにも考えるなんて不可能
どちらかと言えば
困難の方が近いのかもしれません。
だからなんでしょう
なーーんか薄っぺらーーく聞こえちゃって
鼻で笑いたくなります。
もしリアルで言ってくる人がいたら
その人は本当の困難や苦しみを知らない
私達からすると羨ましい人なのかもしれません。
でもまぁ
そんな事言う人いないか!(笑)
そもそも
この悲しみを私達は
一生大切に抱えて生きていくわけです。
苦しいけど
それは大切な人への愛なので
手放すわけにはいきません。
それを乗り越えようだなんて
まぁーーーーー
出来ないわけです。
そんなわけで私、
今日のブログを書きながら
ものすごく自分で納得してしまったわけです。
悲しみと共に生きる道こそ
私達の生きる道であって
今までたくさん苦しんだり
悲しんだりして涙も流してきたけど
それは間違って無かったんだなぁってね。
この苦しみが消えるという事は
長男への愛も消えてしまうような
そんな感覚さえ今はあります。
ひょっとしたらこの先
この気持ちは変化するかもしれません
愛という感情は残しつつも
苦しみが感謝に変わったりする事だって
可能性はゼロじゃないと思います。
でも今は
そんな事はありえないくらい
悲しみにどっぷり浸かっているので
変にもがくことなく
悲しみのターンを受け止めて
日々生きていきたいですね。
今年に入って
我が子を亡くされたと
お話くださった方達が
たくさんいらっしゃいました。
1年7ヶ月経った私も
まだまだこんななので
ご自分の気持ちに不安を持ってる方など
もしいらっしゃったとしましても
全然大丈夫(?)だと思います。
ここの皆さん
同じ気持ちだと思います
一致団結して
過ごしていきましょー
これは「試練」じゃないんで
乗り越える必要は無いのです
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
はじめましての方へ
よろしかったら
こちらもお読みいただけますと幸いです。
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また、グリーフケア写真部の活動も始めました
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