皆様お疲れ様です。



今日は月命日

最近改めて思っている

私の決意を書いてみようと思います。








こんな事を思った事

一度はあるかもしれません。




私はなんという人生に

なってしまったんだろう。




愛する我が子を喪い

悲しみに暮れ

生きる気力を失い

絶望のどん底にいる…と。



もちろん私も思いました

実際、絶望のどん底だったと思います。




自分は不幸な人生だと






もちろん

1番悔しいと思うのは

亡くなった本人だと思います。



というか

かもしれません。



客観的に見ればそうでしょう。



やっとの思いで就職して

やりたい仕事にこれから邁進しようとした長男



その未来が絶たれたわけですから。




もしも仮に

長男がお空に行って

自分が亡くなった事を自覚してたとしたら

もっと遊びたかったなぁーとか

仕事でこんなふうになりたかったーなんて

思ってるのかもしれない。



そういう意味では

長男的には

悔いが残っているかもしれない。



そしてその想いを引き継ぐという意味では

私も悔しいという想いがあります。



だけどやっぱり

私のこの人生、

これを否定してしまったら

長男の存在も否定してしまうような気がして

なんか違うんじゃないかって思うんです。



やっぱり

出会ってくれた事

私の子供として生を受けてくれた事に

感謝なんですよね。




これは何度もブログで書いていますが

もしも神様が

21年で亡くなってしまうけど同じ長男

21年では亡くならないけど別の人

どちらかともう一度親子になれます。

どちらにしますか?って聞かれたら

迷うことなく前者。



やっぱり長男は長男でしかないのです。



だからこそ

そんなかけがえのない出会いには

感謝しかなくて



ということは

私はやっぱり

この人生は不幸だって

言ってはいけないと思うんです。



お前のせいで不幸になった



間接的とはいえ

そういう気持ちになったら

長男は悲しむし

申し訳なく思ってしまうでしょう。




だから

うんうん、悔しいよな

よっしゃ!俺がお前の見たかったもの

見せたるわ!っていう気持ちが

私の今の気持ちなんです。



だからこれからも

見届けて欲しい

私の生き様を。



俺の子に生まれてくれてありがとう

お前の親にしてくれてありがとう

楽しい時間をくれてありがとう

愛をいっぱいくれてありがとう



思い出せば思い出すほど

こんな幸せな人生は無い



たしかに早すぎる人生ではあったけど

中身の濃さは誰にも負けないと思う。



そんなお前を俺は誇りに思うよ。




そんな誇りに思う息子がいる人生

不幸なわけが無い。



泣いてもその倍笑って

これからの人生謳歌してやるんだ!



お前を不幸な存在にしない為にも

俺の人生輝かせてやるぜキラキラ



一緒に行こう!

これからもよろしく頼むわ!





最後までお読みくださり

ありがとうございます。



はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。



私の新しい人生の出発点です




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