皆様お疲れ様です。



ひょっとしたら前にも書いたような

気がしているんですけど

なんかもう一度書きたくなったのと

その時はあまり深く書けなかったような

これもまたそんな気がしてて…



月日が経って

少し自分の心に勇気が湧いたっていうか

書けそうな気がするので

書いてみようと思います。



私、子供の頃から

「死」というものがとても怖くて

時々その事を考えると

発作的にパニックみたいになる事が

ありました。



ひょっとしたら

子供の頃に亡くなった祖父とかの

イメージがトラウマみたいに

なっていたのかもしれません。



大人になってからも

その恐怖は拭えず

一体何のために生きているのか?

どうせ死んでしまうのに。と

生きる意味さえも

よく分からなく思う時がありました。



結婚して子供が産まれ

守るものが出来ました。



それでも私は時々

はしゃぐ子供達を見ては

まだ若いから

死の恐怖とか無いんだろうな

羨ましいな。

なんて思う事もありました。



そもそも死の恐怖って

きっと自分が死を受け入れる段階が

怖いと思うのだろうな



そんな事を思っていたんです。



そしてその恐怖を克服すれば

こんな悩みも無くなるのだろうか?と

考えるようになりました。



それである1つの答えみたいなものを

思った事があったんですけど



それは



大切な人が先に亡くなってしまったら

その人に会いたい気持ちが

死の恐怖を上回るのではないか?



今思えば

本当にくだらない事を考えていました。



でも当時は本気で考えていました。




当時の私はありがたい事に

両親は健在だし(両親は今も健在)

そういう大切な人を喪うという事が

よく分かっていなかったんです。




でもまさか

それが本当に起きてしまうとは

しかも我が子という絶望。



何度か当時の自分を恨みましたよ



変な事考えたりした事があるから

こんな事になったんじゃないか?とかね。



本当に後悔しています。




そしてじゃあ

その「死の恐怖」とやらは

無くなったのか?というと

全然無くなってないです。



たしかに

死の恐怖とは全然関係ない所で

心境の変化みたいなものはあるような気がします。




でも

長男に会いたいから

早くお空へ行きたいとかは

私にはありません。



ここは意見が分かれる所だとは思います。



今の段階では

もっともっと長男のために

色々な事をしてあけたい。

思い出を沢山作って

お空へ土産話を持って行きたい。



その想いで私は生きています。



死の恐怖も無いわけじゃないけど

あの時思った感情とは

なんか違うんですよね。



ちょっと説明出来ないんですけど。




もしもこの先

私の人生が充実して

長男のために沢山の土産話が出来たら

「そろそろいいかな」みたいに

思う事が出来るのかな?



今はまだ全然分かりません。



ただひたすらに

弱い心の私が

どんなふうに生きていけるのか

自分でも分かりませんけど

長男がきっと

やりたかったであろう事などを思うと

やっぱり私は死ねないな…。



時々全部どうでも良くなる時もあるけど

私には力強く生きていく勇気が必要です。



まだまだいくぜ!



人生楽しもう、長男!





最後までお読みくださり

ありがとうございます。



はじめましての方へ

よろしかったら

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