皆様お疲れ様です。



ちょっと日は経ってしまったのですが

お盆の時の事を

少し振り返ろうかと思います。



お盆中私達は

長男と家族水入らず的に

過ごす事が出来ました。



今回は友達も来なかったので

私達としか家には居ませんでした。



もちろん自分から

あちこちには行ってたと思います。



それでやっぱり

なんとなくだけど

帰ってきてる実感

そして帰っていく寂しさ



こういうものを感じると

悲しくなっちゃうんですよね。



やっぱりお前はいないんだよな…とか

なんでこんな事になっちゃったんだろうな、とか



様々な気持ちが

濁流のように押し寄せてきて

胸が苦しくなります。




それで

苦しいな……とは思うのですが





それを

嫌だな……とはならない。





悲しみ自体はとても辛く

この状況を脱したいとは思うのですが



脱したいのは悲しみからではなくて

長男がいないという状況からという事で

悲しみが無くなるのは

きっと長男がいなくなるみたいな気がするんです



だから

悲しみがいらないわけじゃない



今の私に

悲しみは無くてはならないもの



悲しみ=長男



だから悲しい時は

長男を感じている時なんです。



そう思うと

悲しみももっといていいんだよって

思うのですが

辛いは辛い笑い泣き



とても複雑な気持ちです。



でもなんとなく

悲しみは長男なんだっていう

構造を理解すれば

悲しみを耐える力になるかもしれない



そんな事を思います。



そしてたしかに

悲しみは長男かもしれないけど



長男=悲しみではなくて

長男は嬉しさだったり

楽しさだったり

そして愛情だったり



色々な所で感じる事が出来るんです。



だからつい

悲しみに目がいきがちなんですけど



私は実は色々な場所や時間

シチュエーションで

長男を感じているんですよね照れ



それを忘れてはいけないなと思いました。



悲しい時も長男かもしれないけど

嬉しい時や楽しい時もあるんだよ



先日の夏祭りのように

楽しくて愛情いっぱいに

長男を感じることもある。



仮に長男が生きていたとしても

人生悲しい事はあるわけで

もちろん同じではないのだけれど

悲しみを感じる事自体は

自然な流れなのかもしれない



そうやって長男の事も

自然と色々な形で触れ

感じていくものなのかもしれません。



そんなに上手くはいかないかもしれない

きっと上手くいかない



でも私は向き合う

そこに長男がいると思うから



乗り越えるなんてことは

一生出来ないと思うけど

一生向き合う覚悟なら出来ている



だから悲しい事もあるかもしれないけど

できるだけ楽しく

愛に満ちて長男と向き合っていけたら

お空も地上も

幸せなんだろうなぁと思います。



さぁー、踏ん張ろうグー





梅雨明けしたら

いきなりこんな青空ですよ晴れ



これから夏本番

熱中症に気をつけて

元気にいきましょう!



最後までお読みくださり

ありがとうございます。










はじめましての方へ

よろしかったら

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