皆様お疲れ様です。
先日の土曜日、長男の親友である
いつメン達と映画に行ってきた日の関連で
いつメンの1人、絵の上手い人A君のお話と
その時の話を書こうと思います。
そして
いつもは「A君」と呼称していますが
今回より「E君」に変更します。
理由としましては
まず私が「A君」とか「Aさん」とか
A~を多用し過ぎていて
誰が誰だか分からなくなりそうという事。
Aの使い方としてはその日のお話の
登場人物の仮称として使用する事が多く
度々登場する彼をもうAと言うのは
難しくなってきたという事。
そして今回のお話で
きっと彼のAという仮ではなく
Eという固有の呼称が必要になりそうだなと
思ったので変更する事にしました。
なので今回は
A君改めE君のお話です。
時を遡ること約1年半前のある日
長男から驚きのニュースを聞きました。
長男:聞いてよ!Eのやつ○○に就職
するんだって!
この○○というのは
とある有名なアニメ制作会社。
彼は元々絵が上手くて高校の頃から
そういう仕事に就きたいと思っていて
独学で勉強をしていました。
高校卒業後もアルバイトを続けながら
自分の書いた絵をSNSに上げていて
その絵を見た人から
単発の仕事の依頼が来たりして
それをこなしていくというような
生活を約2年続け
長男が就職するタイミングと同時期に
自らの力で大手への就職を
掴み取ってきたんですね。
ここまででもかなり凄い話だなぁと
思うのですが
彼のサクセスはまだ続きます。
ですが一旦ここで
E君と私達との関わりの歴史について
書いていこうと思います。
入社してからのE君は
会社内で研修&勉強の毎日
住まいも都内に引越してしまったので
会えない距離ではありませんが
長男ともなかなか遊ぶ機会が減ってきました。
それでも夏休みや、連休などには
よく帰って来てて
私の家で朝まで長男達とずっと遊んで
朝起きた私とアニメの話を皆でしてから
私は会社へ行く、というような
関わり方をE君とはしていました。
その後もよく長男とは遊んでおり
去年の年末には
長男達皆で箱根にキャンプで1泊したのが
良い思い出だったとE君は教えてくれました。
そしてあの、最悪の日
1月10日がやって来てしまうのです。
私は長男が亡くなった夜
各連絡先に電話をかけまくっていましたが
E君に連絡をしたのも私でした。
最初は信じられない様子でしたが
私が何度も本当だと言ったので
彼は電話の向こうですすり泣いていました。
そして、高校関連の
友達の連絡先が分からないから
E君に頼みたいという旨を伝えました。
E君は任せてください!と言ってくれて
会社も休み、次の日にはもう
私の家に来ていました。
あの時思えば
1週間くらい家に来てくれたりしてて
会社には何て言ってきたんだろう?
入社1年目でこんなに連休させてしまって
大丈夫だったのだろうか?
当日は全く頭が回りませんでしたが
後になって心配になりました。
あの時はごめんね
そして本当にありがとう。
それからE君はインスタに
長男の事を上げてくれました。
○○君が亡くなりました。
皆で笑顔で見送ってあげたいと思いますので
出来るだけ多くの方に
参列していただきたいです。
よろしくお願いいたします!
確かこんな内容のストーリーを
上げていたと思います。
そしてE君のインスタは同級生や
そのまた友人などに拡散しまくり
葬儀には同級生だけでおそらく300人くらい
来ていただいたと思います。
遠方で参列出来ないからと
レターパックでお香典が届いたり
手紙が届いたりと
かなりの数いただいてしまいました。
また、会社の同僚の息子さんは
長男とは全く知り合いじゃないのに
拡散されたインスタで
長男の事を知ったりして
後日、息子のインスタで
教えてもらったんだけど
あれって○○(私)さんの息子さん?って
同僚から聞かれたりして
人の繋がりの素晴らしさを知りました。
いやー、もうこの部分書くだけで
あの日を思い出して
涙止まらんですわ(笑)
その後はずっとE君達は家に来てくれて
葬儀の準備を一緒にやったんですよね。
詳しくは過去記事を
読んでいただけると幸いですが
本当にあの皆と一緒にいた時だけは
不思議と楽しかったんですよね。
永遠にこの時が続けばいいなと
思った程でした。
それでE君には
別でお願いをして
あの絵を描いて貰ったんですね。
推しキャラと長男のツーショット
この絵も一発描きじゃなくて
何回も何回も描いてコピーして
さらにその上から絵を足して…っていう
複雑な作業を重ねて
お通夜の前日の深夜までかかって
描いてくれた大切な絵なんです。
家にはその原画や
下書きが沢山残されています。
そして完成した唯一の作品は
長男がお空へ持って行きました。
この写真はそのコピー
もう本物はこの世にはありません。
なんとも粋な話だと思いませんか?
ただ、コピーでもE君が
更に色を足してくれたので
この絵には魂が宿っていると思っています。
そしてこの絵は今も大事に飾ってあります。
お通夜、告別式はもちろんE君達いつメンにも
フルで参加してもらいました。
それがせめてもの
私の感謝の気持ちだと思ったのです。
立ち位置も近い親族の次くらいで
私も基本E君の考えには賛成でした。
私達家族だけでというよりも
皆で盛大に送ってやりたい。
イメージとしては
南部虎弾さんの喪服禁止のような
忌野清志郎さんのロック葬みたいな
流石にそこまでは出来ないけど
気持ちの高まりはそのくらい
持って行ってあげたい。
送られる長男もきっと
普通じゃつまんねぇな!って
思うと思ったので
やれるだけの事はやって
はみ出せるだけはみ出した
葬儀だったと思います。
そしてE君は宣言通り
私との電話の後は一切泣かず
長男を笑顔で見送りました。
でも途中何回か
ヤバいポイントはあったそうです(笑)
出棺の時の私の手紙でも泣かなかったのは
後でちょっと悔しいなと思いました
良かったらどうぞ。
そして葬儀も終わり
ここで彼らとの関係も終わりかと思いきや
私もびっくりの
完全に新章スタートとなったわけです(笑)
そして私は今回
土曜日とE君の仕事の話を書こうと思って
書き出したのですが
E君のここまでの経緯も書いた方が
いいだろうと思って書いたため
かなり壮大になってしまいました
なので次回へ続く……(笑)
良い朝日です。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
はじめましての方へ
よろしかったら
こちらもお読みいただけますと幸いです。
私の新しい人生の出発点です
どうぞよろしくお願いいたします。