皆様お疲れ様です。



今回は最近

仏壇について思っている事を

書いてみたいなと思います。




ブログタイトルはなんかものすごいですが

そんなにすごい事は書いてません(笑)



気楽に読んでください口笛


最近というか

だいぶ前から

長男がどこにいるか

分からなくなっていました。


その事については

先月の月命日の手紙にも書いていました。



この

どこにいるか分からない

というのは



どこにいるのか不明という事ではなく

この世界に溶け合っているというような

「千の風になって」みたいな

そんなイメージで長男を感じています。



語りかければいつもそこに居る

そんな安心感を感じる時も

たまーにですがあります。



でも、基本的には

私が見たり感じたりすれば

長男も同じように感じてると思っているので

事柄や気持ちの共有は

出来ていると信じています。



それでですね

ちょっとだけ疑問に感じた事があったんです。



仏壇(祭壇)って

何のためにあるんだろう?



突然変な事言い出してすみません(笑)



でも、いつも私の傍に長男がいるなら

仏壇(祭壇…以下仏壇)の

役割はなんなんだろうか

そんな事を真剣に考察してみました。



ちなみに仏教的な考察ではありません

あくまでも長男の存在に対しての考察です。



最初は仏壇にも長男が居ると

思っていたんですけど

それだと辻褄が合わないんですよね。



だって2人に増えちゃうじゃないですか(笑)



だからこれはまた別の解釈が必要だなと

思ったわけです。



そんな事を思っていたら

ひとつ自分的に腑に落ちたものがありました。



それは電話です電話



どういうことかと申しますと



大切な人(故人様)に話しかける時って

どんな時でも心に念じていますよね。



いわば携帯電話のような

イメージで話しかけているとしましょうスマホ



でもやっぱり携帯電話なんで

電波が悪かったりするわけです。



そこで仏壇が登場するわけですが

私の中では家の固定電話のような

そんなイメージが良いのかなと思っています。



だいたい仏壇に手を合わせる時は

必ず長男に話しかけます。



その日の報告をしたりお願いをしたり

様々な事を話しかけます。



それって

同じ事を念じたとして

仏壇前じゃない、

例えば外とかで念じるよりも

仏壇前の方が

より届くような気が私はしています。



なので

電波の悪い携帯電話よりも

家の固定電話の方が

音声もきちんと相手に届くというわけです。



なんとなく伝わりましたかね?



ホント、くだらない事ばかり

考えてしまうのです(笑)



ちなみにここで

仏壇が固定電話ならば



お墓ってなんだろうかと

思ったわけです。



※何度も言いますが

仏教的な考察ではありません(笑)



お墓は更に声が届く

仏壇の上位互換(高性能な公衆電話)のような

存在なのかなと

そんな事を思いました。



魂はそこに居なくても

身体はあるわけですからね



故人様の身体を通して

魂に直接語りかけられる

そういう話ならば

結構納得がいくんですけどね(笑)



私的にはいい読みしてると思いますが

いかがでしょうか?キョロキョロ




基本的にはチャンネルが合ってないと

届かないような

いわば長男専用ダイヤルという

位置づけが一番しっくりきました。



そう考えると

仏壇に手を合わせるのも

お墓参りに行くのも

私的には凄く納得出来るなぁと

思ったわけです。



以上

仏壇についての

私の考察でした。





最後までお読みくださり

ありがとうございます。










はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。



私の新しい人生の出発点です

どうぞよろしくお願いいたします。