皆様お疲れ様です。



私の周り(リアル)には

逆縁の方はいらっしゃいません。



ひょっとしたら居るかもしれませんが

私とよくお話しする仲の良い方には

いらっしゃいません。



知り合いで

私が長男を亡くした1ヶ月後くらいに

親を亡くされた方がいます。



その方とはよく話すのですが

「親と子」

亡くした関係性は違えども

同じような悲しみの変遷をたどっていて

時々そういう話になります。



その方の親が亡くなりそうだという時が

ありましたが、私自身の後悔から

自分ならこうすると思うよ、とか

出来るだけ穏やかな時間を1秒でも長く

過ごしてあげることが1番だよというような

話を、ちょっと私偉そうだなって

思いましたが、させていただきました。



いつも読んでくださっている皆様なら

お分かりかと思うのですが

最近の私の悲しみの深さといいますか

落ち込み具合があまり良くなく

困っているという話を度々書かせて

いただいておりました。



その話をその知り合いにしたんです。



おそらく

亡くなってから月日がある程度(5ヶ月)経ち

長男がもう帰って来ないという現実を

私の心が受け止めていて

それが辛くて悲嘆反応が出ているのではないか

みたいな話をしたんです。



するとその方も

自分もそれを思っていた、と

5ヶ月くらい経って

そういう時期に自分も

来ているのかもしれない。


そう言っていました。



やっぱりそうなのかもねー?なんて

話をしていたんですけど




知り合いが

「でもね」と

言い始めたんです。



私が悲しいと思うのは

長男にもう会えない、帰ってこない

声が聞けないなど

思慕の辛さがメインです。



知り合いにももちろん

そういう気持ちはあるんですけど

どちらかと言うと


知り合いが

「何か決断しないといけない時」

それは大きくても小さくてもらしいのですが


そういう時に

「もしも今親が居てくれたらな」って


思うらしいんですね。


そしてそれに続けて


そういうふうに思う(思ってしまう)自分が

とてもズルい、嫌な奴だと感じてしまい

親に対して申し訳なく思ってしまい

それが辛いと話していました。



たしかに私は長男に対して

何かの決断に意見を聞きたいとは思いません。



そういう所は「親と子」の違いなのかなって

思ったんですけど



でも、ズルい・ズルくないで言えば

それは私も変わらない



そう思いました。



楽しい時や忙しい時は

長男の事を思い出したりはせず

自分が1人になったり

寂しくなると思い出したりします。



それだって私も都合よく

長男を頼っていると思ったので

知り合いには

俺も変わらない、一緒だよと

話をしました。



私のように長男に対して

まっすぐ会いたい気持ちが爆発するのも

知り合いのように申し訳なく思うのも

同じグリーフの反応なんだろうねって

話をしていました。



誰が亡くなったか

どうやって亡くなったか

何歳で亡くなったか



グリーフも十人十色なんだなって

改めて考えさせられました。



私としては少し胸の内を話せて

良かったとは思っています。










……そしてその日

      とあるアニメを観ていたんですけど





そのアニメのシーンで


父親が死んでしまって

途方に暮れている主人公が仲間の1人に

「これから私は

   どうしたら良いのでしょう?」って

質問するんですけど




仲間がこう答えたんです。







今、目の前にいる家族を大切にする事

それしかやる事は無いと思います。



前を向いてください、



みんな待っていますから。




…というシーン




なんかめちゃめちゃ

自分に言われた気がしちゃって



あーー、やっぱりそうだよなーーって



ただのアニメのワンシーンなんだけど

それしか無いよなーーって

思ってしまいました。



先日のブログでも皆様からいただいた

温かいお言葉も思い出し



やっぱりこういう事なんだろうな、と



なんとなく光明が見えたような

気もしたりして



アニメみたいにすぐに前は向けないけど

だんだんと私がやるべき事

なんか見えてきた気がします。



いやーほんと

ブログやってて良かったーと

どれだけここで救われた事か

改めて感謝です。




最後までお読みくださり

ありがとうございます。










はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。



私の新しい人生の出発点です

どうぞよろしくお願いいたします。