皆様お疲れ様です。
最近、仏壇にお線香をあげた時に
よく気分が沈みます。
仏壇の周りには葬儀の時に飾った
色々な長男の写真を貼り付けたコルクボードが
何枚か飾ってあったり
みんなからの寄せ書きにオタクグッズ
笑顔の遺影などが
コーナー化されています。
お線香をあげてお参りした後に
ふとその写真達を見るんです。
あんな事もあったな
こんな事もあったな
ホントにコイツ死んだのかな?とか
色々な気持ちが出てきます。
するとどうしても会いたくなっちゃって
「俺も死んじゃおうかな」
みたいな気持ちになります。
もちろん本気で死にたいわけじゃない
でも長男に会いたいのは本気
どうしたらいいのか
良く分からなくなります。
ちなみに私は自死については
否定も肯定も出来ません
というか分かりません。
国によっては安楽死も認められていますし
自死が本人を救う場合というのも
あるのかもしれないと思っています。
決して良い事だとは思わないけど
それでもその選択しかない場合だって
あるかもしれないとか
それはその方達それぞれの理由なので
私にはそもそもそれを論ずる事が
出来ないと思っています。
簡単に死ぬなとも言えないし
死んでもいいとも言えないのです。
残された家族にとったら
それはもう私には想像がつかない
とても大変な事で
例えば同じ逆縁だとしても
私なんかが簡単には口には出来ない
ものがあると思っています。
話を戻しますが
私が死にたいというのは
死ぬという事ではなくて
長男に会いたいという意味。
「死」だけが長男に会える
唯一のチケットだと思っているからです。
でも私自身は
ものすごい生に執着があると思うし
苦しいのも痛いのも嫌だし
残された家族だっている
だからもちろん私は死ねない
死にたくはない。
ただ、長男を見てると
あんなにあっさりと向こう側へ
行けるものなんだ、と
とても穏やかな長男の顔を思い出すと
何かの境界線を
ひょいっとまたぐみたいに
行けちゃうのかな?なんて
思ったりするんです。
だから私もその境界線を
同じようにひょいっとひとまたぎしたら
長男に会えるんじゃないかなぁなんて
馬鹿な事を考えてしまうのです。
だから今のところ
「死」だけが長男に会える唯一のチケット
そう考えてしまうのです。
話は変わるのですが
例えば自分の子供が
一人で無人島に取り残されたとします。
会いに行く船が
ボロ船1艘だったとしても
私は絶対それに乗って
会いに行くと思うのです。
だから私は
会いたい=死にたい
みたいな図式になってしまうんでしょうね。
でも、もしじゃあ
その無人島にいる長男に会いに行く
というか救出に行くとします。
そうしたら
準備して準備して準備して
万全の体制で臨むと思うのです。
一刻も早く長男に会いに行きたいけど
食料や着替え
様々な道具など
これでもかというほど詰め込んで
それこそボロ船のキャパを
オーバーしちゃうかもしれないってくらい
長男の為に用意して
乗り込むと思うんです。
もしも着の身着のまま無人島に向かったら
会う前に倒れてしまうと思います。
それってもしも私が今死んだとしたら
それは着の身着のまま無人島へ向かう事と
同じだと思うのです。
じゃあ、無人島(死後の世界)へ行く準備って
なんなんだろうって考えてみたんですけど
どんなに考えても
1つしか答えが出ない
やっぱりそれは私や家族の笑顔
楽しい土産話を沢山用意する事
これしかないと思うんです。
もしも今、悲しい顔で
やっとの思いで会ったとしても
「何しに来たんだ?」って
絶対怒られると思う。
私なら絶対そう言います
よく来てくれた!なんて言えない。
来てくれたのは嬉しいけど
食料も着替えも何も無いよ?ってなったら
2人で二重遭難です。
だから
本当に辛いんだけど
会いに行くのは「今じゃない!」
もっともっと生きて
人生に満足してからじゃないと
合わせる顔が無いんだよなぁ
だから本当は会いたいけど
もう少し待ってて
今は俺の気持ちだけ届け!
沢山楽しい話持って行ってやるぞー
そしていつか絶対会うんだ!
願いがかなうその日を夢見て
生き続けていきましょう。
これからも皆様
よろしくお願いします
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
はじめましての方へ
よろしかったら
こちらもお読みいただけますと幸いです。
私の新しい人生の出発点です
どうぞよろしくお願いいたします。