皆様お疲れ様です



私が住む関東地方も

先週桜が満開となりました。



桜って日本人の本能とか深層心理に

刷り込まれてるような

そんな美しさがありますよね。



よくドラマとかで

次の桜は見れないかもしれない…

なんていうフレーズがありますが



今年の桜は長男は見る事ができませんでした



ドラマで見てた時は

ただの比喩表現としてでしか

捉えてなかったんですけど



実際にその立場になると

なんとも言えない感情になりますね



去年は見てたのにな……



こうやって1つずつ

去年はこうだった

どうしてた、ああしてた



そういうものが消えていく



そして1年経つともう何も無い



1年間の思い出が全て無くなる



それが凄く恐いなって

桜を見て思います。



でも、逆にこうも思ってるんです



長男が亡くなってしまった2024年

はっきり言って忌々しすぎて

早く過ぎ去ってしまってほしい



ずっと思ってました。



でもこの2024年の生活に

少し慣れてきたのか

名残り惜しいような気持ちもあるんですよね



時が経って欲しいような

時が経つのが恐いような



どっちなんでしょうか




長男の誕生日は12月22日なので

生きていたとしてもまだ21歳です。



だから、私の中での長男と

リアルでの長男の年齢が一致しています。



でもこれが1年経ってしまうと

リアル年齢とのズレが生じて

永遠の21歳となるわけです。



この永遠の21歳がなんとなく

また改めて彼の死を認めるような

そんな気持ちになるんじゃないかって



それが恐いです。



楽しく過ごせている日もありますけど

まだまだ悩んだり凹んだり

自問自答の日々



何か1つでも自分の疑問や意味が分かれば

この気持ちも軽くなるのでは

そう思い続けています。



最近では

何のために長男は生まれて

そして死んだのか、とか


悲しみという感情について、とか


色々考察しています。





一生答えなんか出ないかもしれないですけど

それを探す旅もまた私の人生なのかなと



自分はなんの為に生きているのか

そんな事も思ったりしますが





今はこの悲しみを消すために

生きているのかもしれません。



自分の悲しみが消えるということは

きっと家族の悲しみもその時には

消えている、そう思います。



長い旅ですね



ホント、果てしない旅です。






そんな私の気持ちなんか気にもせず

桜は綺麗に咲き誇ります。





そして私も悲しくても

桜って綺麗だなって

つい思ってしまい

シャッターも押してしまいます。




やっぱり日本人なんでしょうかねー





来年の桜は今より少しでも晴れた気持ちで

見れたらいいな!




こんな私ですが

皆様これからもお付き合い

どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m



最後までお読みくださり

ありがとうございます。










はじめましての方へ

よろしかったら

こちらもお読みいただけますと幸いです。


私の新しい人生の出発点です

どうぞよろしくお願いいたします。