黒沢清『岸辺の旅』 | What's Entertainment ?

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2015年10月1日公開、黒沢清監督『岸辺の旅』



製作は畠中達郎・和崎信哉・百武弘二・水口昌彦・山本浩・佐々木史朗、共同製作はCOMME DES CINEMAS、ゼネラルプロデューサーは原田知明・小西真人、エグゼクティブプロデューサーは遠藤日登思・青木竹彦、プロデューサーは松田広子・押田興将、コープロデューサーは松本整・MASA SAWADA(フランス)、原作は湯本香樹実『岸辺の旅』(文春文庫刊)、脚本は宇治田隆史・黒沢清、企画協力は文藝春秋、音楽は大友良英・江藤直子、撮影は芦澤明子(J.S.C.)、照明は永田英則・飯村浩史、V.Eは鏡原圭吾(J.S.C.)、録音は松本昇和、美術は安宅紀史、編集は今井剛、衣裳デザインは小川久美子、ヘアメイクは細川昌子、スクリプターは柳沼由加里、助監督は菊地健雄、制作担当は芳野峻大、助成は文化庁文化芸術振興費補助金。配給はショウゲート。
2015年/日仏合作/シネスコ/カラー/5.1ch/128分
本作は、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞している。


こんな物語である。

大学病院で歯科医をしていた薮内優介(浅野忠信)が、突然失踪して三年。瑞希(深津絵里)は手を尽くして夫の行方を探したが、とうとう見つからなかった。喪失感の中で、瑞希はピアノ講師をしながら日々を過ごしていた。
そんなある日、何の前触れもなく突然優介が帰って来る。しかし、優介は開口一番「俺、死んだよ」と告げた。自分の死体は蟹が食ってしまったから、すでに跡形もないと。
半信半疑の瑞希に、優介はこの三年間で自分がお世話になった人々の元を一緒に訪ねようと提案した。



最初に訪ねたのは、新聞販売店を営む島影(小松政夫)という老人。ここで、優介はパソコンの修理をしたり、新聞配達の手伝いをしていたのだという。次に訪ねたのは、中華料理店を営む夫婦(千葉哲也、村岡希美)のところ。その店で優介は、東京で飾り職人をしていると偽って餃子作りの手伝いをしていた。
次の目的地に向かうバスの中、ひょんなことから生前の優介が同僚の松崎朋子(蒼井優)と浮気していたことで口論となる。腹を立てた瑞希は、突然バスを降りると一人東京に帰ってしまう。瑞希は、かつて優介が勤めていた大学病院を訪ねて、朋子に会ってみた。




一人自宅に戻った瑞希の目の前に再び優介が現れ、二人は旅を再開する。訪れたのは、星谷(柄本明)という農家だった。彼は息子のタカシ(赤堀雅秋)と諍いを起こし、出て行ったタカシはそのまま病死した。以来、星谷は嫁の薫(奥貫薫)と孫と暮らしているが、夫を失ってからの薫はまるで抜け殻のようだった。
ここで優介は、近くの住民を相手に塾のようなものを開き、住民たちから愛されていた。

優介との旅を続けるうち、瑞希は夫の知らなかった一面を知ることになる。そして、旅先で出逢った人々との交流の中で、彼女の中では生きている者と死んでしまった者との境界が曖昧になって行く。彼女がこの旅で出逢った人の中には、亡き父(首藤康之)もいた。
瑞希は、夫との日々にかつてない幸せを感じていたが、二人にとって永遠の別れが近づいていた…。



なかなかに充実した力作だと思う。物語もよく練られているし、ロケーション、映像、音楽も充実。そして、特筆すべきは役者陣の素晴らしい演技だろう。

個人的には、深津絵里の素晴らしさこそが本作のポイントだと思う。もちろん、映画とは様々な要素が有機的に絡んだ複合的表現であるが、ことこの作品に関しては瑞希という女性にドラマ的リアリティと説得力がなければ、単なる深みのないファンタジーに堕しかねないからだ。
深津の演技、仕草、表情のひとつひとつに、瑞希という女性が抱える途方もない喪失感、諦念、不安、幸福感、嫉妬心が見事に表現されていて、作品に深みをもたらしているのだ。
もちろん、彼女だけでなく、浅野忠信ら他の役者も見応えある演技を披露している。

この作品が興味深いのは、亡き夫との絆を妻が再発見する物語にとどまることなく、様々なる市井の人々が抱える心の闇や悔恨を描く中で、映画の観客にまで自分たちが日々抱える痛みや苦しみの感情までも想起させるところである。
そして、自分の中にそんな心の揺れを感じつつ、我々はいつしか瑞希の心情にシンクロして行くのだ。
物語としては、瑞希の目の前に死者が現れることで一見こちらの世界とあちらの世界の境界が曖昧になるようで、結果的にはかえって生と死の間に厳然たる壁が立ちはだかることに瑞希が打ちひしがれるというドラマ構造も秀逸。

ただ、本作は素晴らしい作品だと思うがやや映画的あざとさを感じてしまうのも事実である。中華料理屋の妻フジエが幼い妹と再会するエピソードにそれは顕著だが、瑞希が朋子と交わす会話にしてもいささか定型的過ぎるだろう。
それから、荘厳なクラシックを大音量で流す演出にもある種の過剰さを感じてしまう。
いささか些細なことかもしれないが、手先が思うように使えなくなって行く優介が、終盤で瑞希の服を脱がせるシーンも気になる。パンのビニールも上手く破れない人間が、服のボタンをよどみなく外すというのは不自然だろう。
また、映画にとってのひとつの見せ場である瑞希と優介のベッド・シーンにもう少し濃厚な描写があってもいいように思った。洗練されたカメラ・ワークだと思うものの、これでは少し綺麗すぎる。

いずれにしても、本作は黒沢清渾身の一本に違いない。
深津絵里の素晴らしい演技共々、観るべき作品である。