中川信夫『地獄』 | What's Entertainment ?

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1960年7月30日公開、中川信夫監督『地獄』



総指揮は大蔵貢、企画は笠根壮介、脚本は中川信夫・宮川一郎、撮影は森田守、照明は石森浩、録音は中井喜八郎、美術は黒沢治安、音楽は渡邊宙明、編集は後藤敏男、助監督は土屋啓之助、製作主任は高橋松雄、監督助手は根田忠廣、撮影助手は中満勇雄、照明助手は原信明、録音助手は三宝明、撮影整備は佐藤幸助、音響効果は栗泉嘉男、美術助手は大塚実、記録は奈良井玲子、スチールは式田俊一。演技事務は今井雄幸、製作係は平木稔、製作・配給は新東宝。


こんな物語である。

仏教系大学に通う学生・清水四郎(天知茂)は、恩師である矢島教授(中村虎彦)の一人娘・幸子(三ツ矢歌子)と婚約している。四郎の人生は順風満帆のように見えたが、彼には田村(沼田曜一)という歓迎すべからざる悪友がいた。
田村は、いつでも暗く皮肉な笑いを口元に浮かべた悪魔的な男で、何処にでも姿を現す神出鬼没さで四郎につきまとった。田村は地獄耳でも持っているのか人の弱みに熟知しており、おまけに狡猾に人を堕落させる術にも長けていた。

四郎が矢島教授の家に呼ばれて、矢島夫妻(妻・芙美:宮田文子)、幸子と楽しいひと時を過ごしていると、突然田村が押しかけて家族団らんに冷や水を浴びせた。白けた雰囲気が立ち込め、四郎は矢島家を辞去した。
田村の車で四郎は下宿まで送ってもらうことになったが、その途中で酔っ払ったヤクザ・志賀恭一(泉田洋司)が道に飛び出し轢いてしまう。田村はそのまま逃走するが、四郎は自分も共犯だと自責の念にかられる。しかも、ことの一部始終を志賀の母・やす(津路清子)が目撃していた。
志賀は死んだが、やすは警察に届けず息子の情婦だった洋子(小野彰子)と共に、犯人を探し出して復讐することを心に誓う。

四郎は、幸子を伴って警察に自首する決心をした。ところが、警察へと向かうために乗ったタクシーが事故を起こし、幸子は亡くなってしまう。失意の四郎は酒で現実逃避しようといかがわしい店に出入りするようになり、そこで知り合ったホステスと深い仲になった。その女性が洋子であることを、四郎は知らない。
そんなある日、四郎の元に電報が届く。母・イト(徳大寺君枝)危篤の知らせであった。四郎は、父・剛造(林寛)が経営している養老施設「天上園」に汽車で里帰りする。剛造は業突張りの上に好色な男で、天上園に住む貧しい訳ありの老人たちは劣悪な環境で不満にまみれて生活していた。おまけに、妻が病身だというのに、剛造は妾・絹子(山下明子)まで囲っている始末だ。

そこに住み込んでいる偏屈な画家・谷口円斎(大友純)の娘・サチ子(三ツ矢歌子:二役)を見て、四郎は我が目を疑った。彼女は、幸子そっくりだったからだ。イトの容体は一進一退を繰り返していたが、四郎がこの場所にとどまっていたのは、サチ子に心惹かれたからだ。しかも、サチ子も四郎に好意を持っているようだった。
ところが、こんな田舎にまで田村が現れた。おまけに、四郎の居場所を突き止めて復讐のためにやすと洋子もこの地を訪れる。矢島夫妻まで、講演旅行の帰途にこの地に立ち寄った。

四郎の元に、手紙がもたらされた。洋子からだった。四郎は、指定された吊り橋に赴いた。河原の方では、やすが何やら液体を川に流している。すると、何匹もの魚が川面に浮き始めた。
吊り橋の上で四郎と再会した洋子は、拳銃を取り出した。二人揉み合っているうちに、洋子は橋から転落してしまう。四郎が呆然としていると、そこに薄笑いを浮かべて田村がやって来た。すべてお前のせいだと田村をなじる四郎。今度は、四郎と田村が揉み合いになり、四郎は田村まで殺めてしまう。

天上園は、創立十周年を迎えて、盛大なるパーティが開かれた。ただ、盛大なのは表向きだけで、住人たちに振る舞われたのは、あの川で獲れた川面に浮いていた小魚ばかり。こんなところでまで、剛造はケチっていたが、老人たちはこれでも尾頭付きだと言って出てきた魚を喜んで貪り食った。
招かれた主賓たちは昼間から飲んだくれていたが、恭一と洋子の復讐を果たすために天上園に忍び込んだやすは、酔客たちの毒入りの酒を振る舞った。

魚を食べた者たちは中毒症状を起こして次々に倒れ、酒を飲んだ者たちもまた仕込まれた毒で悶死してしまう。愕然とする四郎は、いつの間にか死んだはずの田村が真っ白な顔で立っていることに気づく。田村の手には拳銃が握られていた。
そこに、サチ子が飛び込んで来た。矢島夫妻が鉄道自殺を図ったというのだ。すると、田村が発砲して、その凶弾にサチ子が崩れ落ちる。四郎は田村に掴みかかるが、その背後からやすが四郎の首を絞めた。
まさに修羅場と化した部屋の中で、すべての人々が事切れて行った。



ふと気が付くと、四郎は大きな川の前に佇んでいた。それは、三途の川だった。四郎は、幸子の霊に遭遇して彼女が四郎の子を身ごもっていたこと、この子は水子として地獄に落ちていることを知らされた。
四郎は、我が子を見つけ出すべく、閻魔大王(嵐寛寿郎)が支配する八大地獄を彷徨うが、そこでは生前に見知った人々が鬼の責め苦にあえいでいた…。







新東宝夏興行の定番、怪談ものの大作で、新東宝スコープと名付けられたシネマスコープでの撮影である。オープニング・シークエンスに女性の裸体を持ってくるところに、エログロ路線で奇作を連発した大蔵貢新東宝の特徴がよく出ている。本編とは何の関係もないお色気な映像が、何とも味わい深い。
大蔵貢は新東宝社長を解任され後にピンク映画の老舗となる大蔵映画を設立するが、ある意味この作品にもその萌芽は見られる。何と言っても、大蔵映画の夏定番興行も小川欽也らが監督した怪談ものである。

中川信夫が手がけた本作は、怪談ものというより今の目で見れば新倉イワオもビックリのスペクタクル映画版「あなたの知らない世界」みたいである。
前半の不吉に暗示的で謎めいた展開にはワクワクするが、途中から物語は完全なるカオスへと落ちて行く。そして、本作の興行的呼び物と言える地獄の描写シーンでは、仏教の八大地獄だけでなく西洋思想の佇まいまで帯びたフュージョン的演出になっている。
要するに、ドラマ構造が如何にも大雑把なのだ。メフィストフェレスをイメージしたような悪魔的キャラクター・田村の存在も分かったような分からないような設定だし、幸子そっくりのサチ子も如何にも新東宝的ご都合主義である。
そんな中、生真面目に演じる天知茂と愛らしい三ツ矢歌子が印象に残る。

本作は、倒産寸前だった新東宝が残した徒花的怪作。
個人的にはピンク映画と地続きのようなエロ全開のオープニングが買いの一本だが、観る人によって色々な楽しみ方が可能なカルト作品である。