カテゴライズという弊害を超えて~和ジャズ事初め | What's Entertainment ?

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映画や音楽といったサブカルチャーについてのマニアックな文章を書いて行きます。

音楽にしろ、映画にしろ、芸術にしろ、カテゴライズすることは、その時点で文章の読み手の興味をふるいにかけることに他ならない。
音楽に関して言えば、オール・ジャンルに興味のある人ならいいが、例えば、ロックしか聴かないとか、パンク命とか、プログレ最高とか、リズム&ブルースしか聴く価値のある音楽はないとか、ジャズこそが本物の音楽だとか、ジャズでも日本のものは模倣だとか、ソウル・ジャズは邪道だとか…そういう凝り固まった人は、結構存在する。要するに、
唯物的な価値観で聴かず嫌いな人がかなり多い。
まぁ、ひとつのジャンルだけ取ってみても、洋楽もあれば邦楽もあるし、聴くべき物はそれこそ数限りなくあって、しかもその数は日々増殖している。

僕は、オール・ジャンルを聴き漁って30年近くになるけれど、つい最近まで全くの死角が存在していたことに気づいて、大きな衝撃を受けた。その死角とは、
日本のジャズである。
実はここ数年、ジャイルズ・ピーターソンを中心としたイギリスのDJを中心に、
レア・グルーヴとしてのジャパニーズ・ジャズ再評価の動きが活発になっていた。


35mmの夢、12inchの楽園

その影響で、近年は日本でも「渋谷維新」シリーズに代表されるコンピレーションや和ジャズの再発が相次いでいる。
60年代後半から70年代後半にかけて、日本音楽界において最も先鋭的でクリエイティヴであったのは、実はジャズだったのではないか…と僕は今更のように思っている。

それまで、僕の抱いていた和ジャズへのイメージといえば、渡辺貞夫『カリフォルニア・シャワー』、日野皓正『シティ・コネクション』、カシオペア『ミント・ジャム』、渡辺香津美『TO CHI KA』といった所謂フュージョン系の作品(実は、これらの作品も素晴らしいのだけれど)であり、それ以外には、北村英治のクラリネットだとか、山下洋輔はピアノを壊すだとか、その程度の認識しか持ち合わせていなかった。


35mmの夢、12inchの楽園

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35mmの夢、12inchの楽園

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そんな印象しか持っていなかったから、完全にスルーしてきた訳だ。
その考えを改めざるを得なくなったのは、『SAMURAI ERA』というコンピレーションを聴いてからである。このCDとの出会いは、僕にとって物凄いインパクトであった。


35mmの夢、12inchの楽園

実は、日本のジャズは僕がまだ足を踏み入れていない「宝の山」なのではないか…と、それこそ「目から鱗が落ちる」思いだった。

それで、日本のジャズに正面から向き合うようになったのだが、その当時、日本のジャズの再発は著しく遅れており、聴くことがなかなか困難であった。
それが最近になって、次第に再発されるようになり、ようやくまとめて作品に触れることができるようになった。
その中で、僕が強く惹かれたレーベルが、「タクト」「スリー・ブラインド・マイス」「イースト・ウィンド」「ベター・デイズ」「CBSソニー」等である。
これらのレーベルには、渡辺貞夫、日野皓正、菊地雅章、日野元彦、高柳昌行、中村照夫、土岐英史(山下達郎のツアー・メンバーで土岐麻子の父上)、山本剛、金井英人、川崎燎、大野俊三、鈴木勲、峰厚介、益田幹夫、向井滋春、中山マリ、笠井紀美子等がいた。

それと時を同じくして、僕は映画監督若松孝二の関わったピンク映画に興味を持つようになった。僕が、学生運動や過激派に興味を持って調べて行くうちに、必然的に彼の作品に行き当たったのである。彼は学生運動家に、非常に高い人気を誇っていたからだ。
そして、彼が手掛けた多くの作品で、当時の日本のフリー・ジャズが使われていることを知った。山下洋輔トリオ、阿部薫、富樫雅彦、高木元輝等である。山下洋輔トリオと阿部薫は、若松作品で演奏シーンもある。

彼らの作品を聴いて、僕は正直度肝を抜かれたのである。初期の日本フリー・ジャズの過激な精神性と音は、パンクやオルタナ、アヴァンギャルド・ミュージックの遥か上を行っていた。
山下洋輔トリオ、富樫雅彦、高柳昌行、佐藤允彦…彼らの音楽は、自らの肉体から搾り出された「叫び」のような音楽だ。まさしく命を削る音である。

そして1969年以降グループ・サウンズ終焉後に、日本のロックが「ニュー・ロック」として胎動した際、ロック・フェスティバルには、ジャズ界からも出演者が相次いでいたという興味深い事実がある。
増尾好秋、田畑貞一、宮間利之とニュー・ハード、石川晶とカウント・バッファロウ・アンド・ザ・ジャズ・ロック・バンド、猪俣猛とサウンド・リミテッド、稲垣次郎とソウル・メディア、高柳昌行(彼は、頭脳警察やロストアラーフが出演した伝説の三里塚『幻野祭』に参加)といった面々である。
70年前後の日本における先鋭的な音楽シーンでは、ロックとジャズの垣根がそもそも存在していなかったのだ。
これは、アメリカにおけるマイルス・デイヴィスのフィルモア出演が日本音楽界に与えた影響が大きかったからだろう、と容易に想像がつく。
『ビッチェズ・ブリュー』以降のエレクトリック時代のマイルスである。

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それ以後も、先に挙げたようなさまざまなレーベルから、まさしくクロスオーヴァーな作品や優れた純ジャズの作品が続々と発表されていった。これらの作品群に触れていくうちに、僕の日本ジャズ界に対する認識は、がらりと変わることになった。
さらに掘り下げて聴いていくと、日本ジャズの黎明期から、松本英彦、白木秀雄、沢田駿吾、宮沢昭といった世界に比肩し得るミュージシャンが数多く存在していたことを再発見して行ったのだ。

音楽の最前線で活動するミュージシャンにとっては、そもそもジャンルなどというものは意味を持たないのだろう。60年代後半から70年代後半にかけては、特にそう断言していいと思う。そこに存在するのは、純粋に自分の音楽と向き合う魂だけである。
そうであるならば、我々も彼らの音楽と誠実に向き合わなければならないだろう、と思うのだ。

結局のところ、音楽には「聴く価値のあるもの」「聴く価値のないもの」の二つしか存在しないのである。


最後に、僕がロックやソウルファンの方にも自信を持ってお勧めしたい作品を、参考までに挙げておく。


日野皓正クインテット『ハイノロジー』('69)
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佐藤允彦トリオ『パラジウム』('69)
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宮沢昭『いわな』('69)
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峰厚介五重奏団『峰』('70)

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石川晶とカウント・バッファローズ『エレクトラム』('70)
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富樫雅彦・高木元輝『アイソレーション』('71)
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金井英人グループ『Q』('71)
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三保敬とジャズ・イレブン『こけざる組曲』('71)
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笠井紀美子と峰厚介四重奏団『イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー』('71)
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渡辺貞夫『SADAO WATANABE』('72)
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中村照夫グループ『ユニコーン』('73)
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鈴木勲トリオ『ブロウ・アップ』('73)
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V.A.『インスピレーション&パワー』('73)
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山下洋輔トリオ『FROZEN DAYS』('74)
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山本剛トリオ『ミッドナイト・シュガー』('74)
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菊地雅章『イースト・ウィンド』('74)
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富樫雅彦『スピリチュアル・ネイチャー』('75)
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土岐英史カルテット『トキ』('75)
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石川晶とカウント・バッファローズ『GET UP!』('75)
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東風『ウィッシズ』('76)
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笠井紀美子『TOKYO SPECIAL』('77)
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高柳昌行セカンド・コンセプト『クール・ジョジョ』('79)
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川崎燎『ミラー・オブ・マイ・マインド』('79)
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笠井紀美子とハービー・ハンコック『バタフライ』('79)
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菊地雅章『ススト』('81)
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