おはようございます
2019年6月頃、転院したい気持ちを思いとどまり、通院している総合病院で治療をしていこうと決めた私でしたが、微熱、咳は続いていました
次の診察まで2ケ月以上もあったため、かかりつけのクリニックを受診することにしました
クリニックを受診し、恐る恐る
”微熱がまだ続いているんです・・・”と、伝えました
先生は電子カルテを見ながら
”ああ~~ 2月の受診の時も、微熱ってことだったよね~~”
と、言われました 自分でも、忘れてて
”普通に伝わるって安心ーーー”
話がスムーズに伝わるし、「それ、医学的に熱とはいいません!」とか、真っ向から否定するんじゃなく、きちんと症状として受け止めて下さる
先生
”総合病院でやってる血液検査で異常値はなかったの?”
もふもふ
”白血球の数値が基準値を超えていました”
先生
”え?? それ先生はなんて説明された?”
もふもふ
”基準値を超えたからといって、それがすぐに異常ではないと、説明受けました”
先生(イヤイヤ・・ウーーンという感じで)
”基準値を超えていたら、どこかおかしいよね
どの位の数値だったの?
その前の数値と比べてどうだったの?”
もふもふ
”数値は1万台、その前の数値と比べて倍以上だったと思います”
先生
”ウーーン そうだよね・・いつも4.000台だったもんね”
おお~~~~スゴイ!!
これが、17年通院したクリニックの先生
パソコンを見るでもなく、いつも4.000台だったと即答!
何時ころ微熱がでるのか?
肝機能の数値は大丈夫だったのか?
寝汗をかくことはないのか?
いくつか質問を受ける
もう・・・ムチャクチャ安心した
あーーーホームグラウンド!
実家に帰ってきたみたいだ
いつもアウェイなんだな・・
やっぱサッカーでも、ホーム&アウェイなんだから、アウェイばっかだと、バテるんだろうな
いろいろ愚痴を言ってしまいそうになったけど、我慢しました
今日はもう・・行ってよかったーーー!
※この日は血液検査をしていただきましたが、白血球は正常値へ戻っており、他異常はありませんでした
今現在も、夕方は微熱程度の体温になりますので、体質なのかと思っています
咳のほうは、長く続きましたが、長引く咳風邪だったのかと思っております
2019年6月頃 一つ悩みごとが解消しました
事の始まりは、2019年3月頃のこと
長男が、いきなり”部活をやめたい”と、言い出したことから始まりました
息子達は二人とも小学生のころから、武道系のスポーツをしています
家族一丸となって、苦楽を共にし頑張ってきたと自負しています
長男は県立の中高一貫の進学校へ高校受験組で進学しました
部活ではキャプテンを務めており、私たちは保護者会の会長をしていました
この中高一貫校に高校受験で入学するということが、悩ましい感じです
通常高校の部活というのは、高校生だけの構成のはずが、何しろ中高一貫ですから、6学年を束ねることになります
”自分でないほうが上手くいくのでは・・・”
部をまとめられないことに悩み、歴代の優秀なキャプテン達と比べてしまっているようでした
ですが、大本番の高校総体を直前に控えています
何故、今の時期に?あと少し我慢できないのか??
キャプテンだろ
高校総体を目前に、大事な練成会がたくさん組まれている、どうするのか?
ゼロか100ではなく、少し妥協できないのか?
保護者会の会長もしてるんだぞ・・
”もう無理・・”という息子に毎日説得する日々が2ケ月ほど続きました
主人が毎日説得してくれました
そして主人は、本来なら二人で担う会長の役割を、私が乳がんで降板していたため、全て一人で取り仕切ってくれました
相当な負担だったと思います
この時が、高校3年間のなかでも一番の山場で,大学受験をはるかに超えるストレスでした
楽しいことも、嬉しいこともたくさんありました
ですが私達夫婦は、この競技を愛し、高校での試合出場を目標に、小中時代、我慢を重ねてきました
何故いま???
顧問の先生との話し合いも何度も行われ
そして・・・
キャプテンを降り、一部員として部活へ参加する
練習は休み休み参加する
高校総体へは、個人戦のみ出場し、団体戦には出場しない
などの、妥協案のような内容で息子も退部せず、最後まで続けることができました
高校の部活で通常は許されないわがままだと思いましたが、みなさん温かく迎えてくれました
6月に引退した時には、かなりの解放感でした
この頃から、少しずつですが体調が上向きました