おはようございます
~続きです
食事に気をつけながら低空飛行を続けていました。
弱っているながらも、治療を受けることができていました。
体調が急変したのは、2018年8月のことでした
2018年8月中旬 急激に体調が悪くなり始めます。
母は尿管ステントという処置を受けていました。
そのせいなのか何なのかわからないのですが、かなり頻尿でした
この頃、頻尿はかなり悪化し、吸収力の多い尿取りパッドがかかせません
頻繁にトイレにいかないといけないので、困っていました。
8月中旬、突然右手が麻痺します
全く動きません
父も私も ”いよいよきたか・・”と思いました
健康な方が突然右手が麻痺したらそれは大ごとだと思うのですが、終末期での麻痺なので私達も驚きはしましたが、受け止めるしかないという感じでした。
ただ、本人は諦めていません
母 ”リハビリでどん位治るやろか~”
父 ”まず先生に診てもらって~ それからたい”
この頃から、母の被害妄想的な言動もパワーアップし、その場しのぎ的な、こども騙し的な会話が増えていきます
そして母は二度と家に戻ることのない最後の入院をします
家を出るとき、私は もう戻れないかもしれないと思いました
入院した病棟は最上階のナースステーションに一番近い4人部屋
今までとは明らかに違う雰囲気に 天国に近い場所にきた感じがしました
TVをみる患者さんがいません
患者同士の会話もなく、互いにおすそ分けしたり・・というのもありません
食事が運ばれてきても、ほとんど食べれない方ばかり
ここで私は母の態度に衝撃を受けます
隣のベッドのおばあさんがかなりモンスターな感じの強烈キャラの方でした
ひっきりなしに 看護師さんがばたばたと対応しておられます
父と私は”ウワー これ夜寝れないよね~ どうしよう”
と思いましたが、母は隣のおばあさんを気にする気配は全くありません。
聞こえているのに、気にならない。
なんというか、神経がそこまでいってない感じです
CT検査があり、軽い脳梗塞のあとが数か所見られる。それが麻痺の原因ではないかとのことでした
この後、先生との治療方針の話し合いが行われ、積極的な治療はこれ以上は難しいということで入院していた病院での治療を終え、緩和ケア病院へ転院することになりました
病院内のコーディネーターという方と面談し、いくつかの病院の説明を受けたり、父の希望の聞き取りをしていただいたりしました
面談は何回かありました
父の希望は”近いところがいい”というものでした
毎日通うことを考えてのことでした
希望の病院は 待機待ち状態だったので、順番がくるまでは入院させていだくことなりました

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