なんでかフラメンコ | フラメンコギタリスト樫原秀彦のブログ 

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日々の気づき
忘れるもの忘れないもの
変わるもの変わらないもの

「なんでフラメンコだったんだ?」と聞かれて、ちゃんと答えられた事があまりない。
自分でもなんで、こんな大変なものに手を出してしまったのか…
以前は、「他の道に進んでいれば、もうちょつと上手く生きていけたか?
世の為、人の為に何か出来たんじゃないか? 我が人生最大の選択ミスだったかもしれない」と、
思いあぐねる日々もあったし、恥ずかしながら、いっその事、不慮の事故で指が切断されれば
何か別の人生を歩んでいけるかもしれないと、愚かにも思う事も少なからずあった。
俺は本当に、どうしようもないアホだ。。。

フラメンコギターは技術的な難易度が高く精神的にも並外れた強さが求められる。
継続する事は何よりも難しい。 それでも決して諦めないのは何故だ?
「ただ好きだから」とか、そんな簡単な言葉では絶対に片付けられない。
いや片付けられては困る。という強烈なエゴに俺の心は支配されている。。。。
1日平均4、5時間の練習を毎日、毎日、20年近く続けている。 
執念か?ここまでくると怨念なのか?もう何がなんだかさっぱり判らない。。。
自堕落な気分の日や病気の日、等々を除いて年間345日ぐらいは練習したとして、
今までに約34000時間をフラメンコに捧げて来ている計算になるんだネ。 タイムイズマネー。
そんなの俺には関係ネー。 思う様に指は動かネーしYO ・YO ・LA サイコー最高ーー。
たぶん俺には、指と脳を結ぶ神経系統に重大な欠陥があるとか、天罰が下され続けているとか、
きっとそうだ。そうに違いない。なんだ。何なんだ。ただの愚痴か。きりがない。
言霊は宿るらしいから、そろそろやめる(笑)。。。。。。

22歳の時にニューヨークに移住して2年が経ち、生活が少し落ち着いてきた頃に
ブロードウェイの繁華街の脇道を入った所にあった、無名の音楽学校に通い始めた。
最初はジャズギターと音楽理論を勉強していた。
やがて真面目に課題をこなす、この日本人を誰が育成するか先生達の争奪戦が始まった。
そしてイゴーというロシア人が、その戦いに他の先生達を恫喝する事で勝利した。
これ嘘みたいな本当の話。。。
ある日、彼は進むべき道を決めかねていた俺の目の前で、グラナイーナというフラメンコの形式の
自作の曲を弾いてくれた。 
なんとも人間味に溢れ、深く悲しみに満ちたギターの音色に、涙がこぼれ落ちた。
文句なしに美しい世界がそこにはあった。 
あの瞬間、フラメンコという音楽に魂を鷲掴みにされ虜になった。 
この運命的な出会いは、ニューヨークに渡ってから一番に心踊る嬉しい出来事だった。。。

こうして、アメリカで日本人がロシア人からスペインのフラメンコを教わるという何だかよく解らない、
何かにつけマイノリティーでアンダーグランドな我が人生が動き始めたと同時に、
出口の見えないカオスへ俺は足を踏み入れたのだ。
当時の写真があれば面白かったのに残念ながら、再婚した時と帰国した時に断捨離したので
20代の頃の写真は1枚も持っていない。。。


イゴーさんは、とにかく凄い人なんですよ。
当時、俺よりもひと回りぐらい年上で四か国語を流暢に話し、身長185センチぐらいの巨漢の白人で、
黒人を酷く嫌うレイシスト(人種差別主義者)
禿げているが僅かに残っている横髪と後ろ髪を伸ばし、日焼けサロンにせっせと通い、
ヒターノ風に見える様に日々の努力を常に怠らない人だった。
もちろん大の女好き。 神道と武士道に精通し、空手とミフネをこよなく愛し、
45口径のリボルバーを肌身離さず持ち歩き、サバイバルナイフに夢中になっている時期があったり、
街のコンビニで強盗に遭遇し、右太股を銃で打たれながら羽交い締めにして強盗を取り押さえるも、
拳銃の不法所持で自分が逮捕されてしまったり、そういえば保釈金の一部は俺が払ったな(ピース
そうなんですイゴーさんは無類の武道派系フラメンコギタリストだったのです。

イゴーは、画家の父と母との間に1人息子としてモスクワで生まれ、クラシック(バッハ)の英才教育
を受けるも、冷戦下の闇市で買ったフラメンコギターのレコードを擦りきれるまで聴きながら
独学でフラメンコの技術を身につけ(後に、その技術は全くのでたらめだった事が判るが、
そのでたらめな演奏を聞いて、あるフラメンコギタリストは感涙を流したとイゴーさんは言っていた)
。。そして恋人が自分の目の前でKGBに射殺された後に、家族3人でアメリカに亡命。
それからは、希望の地アメリカでもいろいろとあったらしい。
クリスチャンだったイゴーは「神は苦しみだけを俺に与える」と酔っぱらってよく叫んでいた。
「人は来て、人は去り、それでもギターだけは決して俺を裏切らない。お前にもいつか解る時が来るよ」
としみじみと語る時もあった。
「自分よりも劣っている奴らが何でこのニューヨークに来ては華やかなに公演をやってるんだ?
何故、俺じゃないんだ?」 と部屋中を破壊している日もあった。
これは、お互いに同じ頃に離婚をして独り身になり、ブルックリンのアパートでルームシェアーをしている
時の話しだ。 そういえば家賃も光熱費も、ほとんど俺が払っていたな(ピース)
海賊版のビデオテープを二人で売り歩き、地味に儲けては祝杯をあげた楽しい夜もあったな。
そしてボロボロに壊れた部屋を大工の親友が好意で修復しに来てくれていたが、その親友は
近所にあったアイリッシュバーで突然、暴漢にナイフで喉を突き刺されて殺された。
それはその日彼と一緒に酒を飲んでいたイゴーがバーをあとにして数分後の出来事だった。
どしゃ降りの雨の中をずぶ濡れで帰ってきたイゴーは、壊れたままの部屋の小さな明かりの下で、
一晩中、震えていた。 それからしばらくして、俺は彼の前から消えた。。。。。

あれから随分と時が流れ、風の噂でイゴーは、今もNYでギターを弾いていると聞いた。
イゴーさん。今もあなたの手には銃やナイフが握られているだろうか。
神は苦しみだけをあなたに与えているだろうか。
人は来て、人は去り、あなたを決して裏切らないのはギターだけだろうか。

たぶんあなたは、今も人間味に溢れ、悲しみに満ちた音色のギターを奏でているだろう。
その音色は更に深みを帯びているだろう。。。たとえそれが、あの頃と変わらず、
自己愛や偏見や怒りや憎しみや嫉妬や絶望の内に生まれたものだとしても、今ならば、その全部を、
在るがままを、慈しみ受けとめたいと思う。
それはどんなに取り繕っても、綺麗事を言っても、抗ってみても、繰り返し表出する
俺自身の姿である事を、時の流れの中で知らしめられてきたから。
でも、もう充分だ。 自分の醜い面も見飽きた。エゴが蔓延る幻想の中にいつまでもいちゃいけない。
そこは精神を蝕むだけのカオスだ。 
イゴーさん。ギターも所詮は物質なんだ。確かにあなたが言った様に人は来て、人は去る。
悲しいかな、それは世の常みたいだ。 それでも俺は、今、目の前にいる人をただ愛し続けたい。
百歩譲ってその愛さえも幻想だと言うならば、どっちの幻想を選ぶのか、全ては俺達次第だ。
意識の扉は、いつだって開かれている。
どうせならば、醜さを内包した人間の美しさを、愛の在る世界を、ただひたすら求め続けよう。
最期の日が来るその瞬間まで。 
誇り高く。

イゴー、 元気ですか?
それにしても 俺達は、なんでフラメンコだったんでしょうね。
いつかあなたに会いに、ニューヨークへ行きたいと思っています。
その時は、どうか笑顔で俺を迎えて下さい。 
あの頃も今も変わらず、俺はただ、あなたがいつ笑顔でいて欲しいと願っています。
もし俺が微笑むならば きっと、あなたも微笑むだろう
もし俺達が微笑んだなら この世界も微笑むだろう
だから俺は笑顔を絶やさずに生きる事にしたんだ。