写真を撮るとき、「どの焦点距離を使うか」で悩むことがあります。
でも実は、それはどんな“まなざし”で世界を見るかを決める行為でもあります。

焦点距離の違いは、ただ画角が広い・狭いというだけではなく、
独自の距離感・語り口・視点の姿勢があります。

この記事では、それを“漢字一文字”で言語化することで、写真と言葉をつなぎ、まなざしの可視化に挑戦しました。

 

「焦点距離 × 漢字一文字 」

焦点距離 漢字 姿勢・特徴
24mm 世界を丸ごと受け止める、“包容の視点”。
35mm 自分と世界が交わる距離。関係性や場の空気をまるごと写す。
40mm 語らず残す。写しきらないから伝わる“余白と余韻”のまなざし。
50mm じっと見つめ、感じ取る。主題と静かに対話する視点。
70mm 他を削ぎ落とし、これだけを選ぶ。決断と集中の視線。

24mmから70mmの主なポイントを漢字一文字にしてみました。

 

「余」から始める―40mm

今年から40mmの単焦点レンズに挑戦しています。
広くもなく、狭くもない。引けば35mmに近く、寄れば50mmに似る。
曖昧で、決定力に欠ける。
 
なんか、しっくりこない。

でもあるとき、気づきました。
この距離で見た風景には、語りすぎない余白がある。
主張しない静けさ、にじむ気配、写しきらないから残るもの。
「余」というまなざしで撮ること。
 

40mmという“間”に立って

カメラに40mmの単焦点レンズをつけて撮っていると、
世界との距離感がじんわりと変わっていくのを感じました。

引くには狭く、寄るには広い。
その“中途半端な間”にこそ、気配や余白が宿ってくる。

構図はシンプルに、でも空気は深く。
強く主張はしないけれど、「何かが在る」静かな感覚。
まるで、「語らないこと」そのものが、表現になるような距離。

まなざしが少しずつ“整っていく”場所としての40mm。
気づけばこのレンズが、いちばん近い存在になっていました。
 

まなざしで撮るということ

撮ることに慣れるほど、
画として成立する写真は撮れるようになります。

構図も、光も、色も整う。
けれど、いつしか――
“目の前と心の距離”に鈍くなる感覚がありました。

写ってはいるが・・・
違和感が、静かに残る。

そこで立ち戻ったのが、
自分の「立ち位置」。

どこに立ち、
どんな距離で、
どこまで写すか。

そうして少しずつ、
「撮る」ではなく
「まなざす」という感覚が、
自分の中に定着していきました。

撮る前に、その日のまなざしを決めてみる。
「ここは“交”で行こう」「この風景は“観”で見るべきだ」
そんなふうに、撮影行為が“選択”ではなく“関係”に変わります。

撮ることに迷ったら、
まず「どんなまなざしで世界と向き合いたいか?」を考えてみる。
この“漢字一文字の地図”が、きっと写真と言葉の旅のコンパスになってくれると思います。