「安息の日々」 (NiccoOrbiaのイズクエ1) | 向かって左のエクボと右の泣きボクロ

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CHAGE and ASKAとしては活動休止中ですがお二人のファンです。

ま、なんてことない事、書いてます。


この旅行が終わった時点では

ブログに残す事は考えてなかった

沙久良さんが既に

ブログに訪れた神社を

UPしてくれていたこともあったし


けど


イズクエで得たものを


自分的な解釈だけど自身の覚えとして

残しておきたくなった


私は見える人間ではない

通常の人間としても鈍い方だ


写真もなんもないし

これまでのイズクエ体験の方々と

比べるとびっくりするような

展開があるわけではない

読む人は面白くもないだろうけど


出雲の風景と沙久良さんを感じてもらったらと思う




これを書いた土曜

関西はいいお天気だった

さわやかな一日がもうすぐ終わる

先週の同じ時刻

私は曇った空の山陰にいた

イズクエの一日目を終えていた





イズクエをお願いした理由、、、





とりあえず仕事はある、住む所も

けど目標というか、どんな人生を送るか

それはなかった

いや、いつの間にか無くしてしまった様な


あるのは迷いだけ


いくら歳をとっても

心は子供のままだった

まわりはみんな大人ばかりだった、、、


いつまでたっても


やる事


なす事


自信が持てない


迷ってばかりで


一歩も


前へ


進めて


いない


そんな日々


何か楽しい事を見つけたかった

へたれな自分を忘れる時間が欲しかった


ブログを渡り歩くうちに

私には見えない、聞こえない、感じられない

そんな世界があることを知った


それに近づいてみたくなった

それに近づく事で

自分を変えられる様だ

自分が変わる様だとも、思ったから


そして

去年の10月

奈良で沙久良さんのセッションを受けた


「あるがままでいいんですよ」


そう言ってもらった


けれど

人間って厄介だ

楽しい、嬉しい、感謝とかの気分では

ずっといられないらしい


セッションで得た柔らかな気分は

年明けを過ぎてだんだん硬くなっていった

歳とともに関節が硬くなる様に


温い泥に沈んでゆく様だった

体が動かない、動きたくない

面倒くさかった、何もかも


「この先生きている限り

この感情に付きまとわれるのか」


本当に面倒くさかった


その度に悲嘆にくれて

自分を生かすために

何度ももがかなければイケないのか


精神の疲労はアルコールを求める


飲んでる時は少し忘れられる


そして

アルコールの力で

イズクエをお願いした


(すいません沙久良さん、私、酔っ払いだったんです)




 「安息の日々」


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