いきるといいきるのが恥ずかしい |  咲花sakka

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『咲花』自身の今を表現しています。

それは作品や日々の想いであったりします。

咲花sakkaの世界に触れて、あなたのなかの花が咲くきっかけになれたら嬉しいです。

ちょっと間があいたけど、先日いってきた
はじめての長崎ひとり旅きろくのつづき。


前回の記事はこちらこちら
2日目は、路面電車で長崎市内をぐるっと
まわったんだけどね。

 

知っての通り長崎は、原爆被災地で。

10年ぐらい前に広島の原爆ドームにも行った
ことがあるから、なんとなく気持ちをきゅっ
と引き締めていったんだけどね。


朝イチで平和公園いって
公園入った瞬間から全身鳥肌がとまらなくて。

怖いとかそんなんじゃなくて。

それこそDNAとか細胞とか
なにか深いとこが反応してる感じで




ずっとゾワゾワしてた。


 
祈りとか
平和とか
いのちを生かすとか
これまで何百回と思って、口にしてきた言葉
が、急に恥ずかしくなった。

思ってたことや言葉にはウソではないんだ
けど、なんていうか、自分が薄っぺらに感じ
てね。

今生で、生死のギリギリを味わったことの
ないわたしは、生きたくて仕方なかった人
の想いがわかるわけがなく。

なんともいえない恥ずかしさや
心許なさを感じたのと同時に
いま、この時代に生かされてることへ
いいようがないぐらい感謝なのか
あっついものがわいてきた。



で。
やっぱり辿りついたのは
【自分のいのちを生かそう】ってとこだった。

生きるって
恥ずかしいこと。

少し前に、そんなことを感じたんだけど
そこにも通ずる。

恥ずかしくなるほどの
自分の未熟さを受け入れながら、いきる。

長崎の旅、2泊3日
2日目ははじまりから、かなり衝撃だった。


つづく。


         あいこ