「かわいそう」は優しさじゃない
本当はあなたが、
誰かに寄り添ってほしかったんだよね
こんにちは。
どんちゃんこと、平中敦子です
昨日もちょっぴり「かわいそう」についてお話をしたけれど
「かわいそう」はけして優しさではないと、私は思う。
以前は、それは優しさだと思っていた。
自分のことを
人の痛みが分かり、
寄り添い、
孤独にしない人間だと自負していた。
でもね
人を通して
私の痛みを
孤独を
埋めようとしていただけだったんだよ。
私、こんなにかわいそうなの。
だから、見て?
私の痛みを、知って?
私の孤独に、寄り添ってくれない?
私はあなたに、寄り添うから。
傷ついた魂は、
自分が求めていることを
相手にそれが愛情表現だと信じて
与えていきます。
あなたが与えている愛の形は
本当に相手のためなのかな?
自分のためじゃ、ないのかな?
私は「かわいそうなわたし」を卒業してからは
「かわいそう」と口にする人を見ると
相手を信じ、
相手の魂の選択を尊重してないんだな。
本当は、この人自身が
寄り添い、慰めて欲しいんだなと感じます。
でもね、
かわいそうな状況をわざわざつくらなくても
寄り添えるよ。
傍にいることができるよ。
愛し合えることができるよ。
あなたはかわいそうな人じゃない。
あの人は、かわいそうな人じゃない。
自分の魂を、ナメないでいただきたい