こんにちは^^

平中敦子です。

 

 

 

 

前回ジャッジについてお話しましたが

今日はもうちょっと補足を書きます。

 

 

 

 

 

最近心のことを学ぶ人が増えていて
「ジャッジ」についてもよく耳にするかと思います。

 

でもね、私はジャッジすること自体が

悪いことではないと思います。

 

 

 

と言うより、物事に良い悪いということは

世の中あるのかな?と考えたりします。

 

(この辺りはまたどこかで・・・)

 

 

 

 

 

色で例えてみると分かりやすいと思うのだけど

 

 

 

 

 

世の中にはいろんな色がありますよね。

 

赤や青、黄色や緑、白にピンク・・・

 

同じ青でも

コバルトブルーとか

アクアブルーとか

人が名前を付けたものはたくさん存在します。

 

「色」の画像検索結果

 

 

この違いを知ることって面白いことだし

違いを知るからこそ
自分を知れることに繋がります。

 

 

 

自分がピンクにだからといって

青になろうとする必要もないし

 

コバルトブルーが正解で

エメラルドグリーンは不正解、

なーんてこともありませんよね爆笑

 

 

 

 

だけど人間って複雑だから

 

自分が黒と言うことに

劣等感や罪悪感を感じていたら

一生懸命、自分ではないものになろうとします。

 

 

 

また、自分の赤こそが正しいはずだと思っていれば

周りに

「なんであなたはそんなに黄色っぽいの?

ここを直せば、

もっと発色の良い赤になれるはずだ!」

と強要することもあるかもしれません。

 

 

 

そして、劣等感や罪悪感、

強要すること自体も

色の例えと同じように

それ自体には善も悪も存在しません。

 

 

 

 

ただ、自分だったら、苦しいなと思います。

 

 

 

 

そして、

苦しいことですら

善でも悪でもありません。

 

 

 

 

苦しくていいし

悩んでいいし

劣等感があってもいいし

罪悪感があってもいいし

 

ただ、あるんだなと知るだけ。

 

 

 

 

 

それがもう嫌だなと思ったら

初めてその時に

考えればいいですし

 

実はそれすら、見方を変えれば

あなたの魅力や才能の

材料にできるのです。

 

 

 

「なんであなたはそんなに黄色っぽいの?

ここを直せば、

もっと発色の良い赤になれるはずだ!」

と言っている赤と、

言われている黄色がいるとすれば

 

捕らわれているのは赤ですよね。

 

 

 

苦しくなって、もうやめたい!と思ったなら
やはり黄色を変えるのではなくて

赤自身が、考え方を変えればいいだけです。

 

 

 

本当はその赤自身も

もともとは白で

がんばってがんばって

赤になろうとした人かもしれません照れ

 

それか、自分の魅力も

黄色の魅力も

見抜くことができていないのかもしれないね。

 

 

 

 

だから苦しみも

自分や相手の本質を愛するための

布石でしかないと思うの。

 

 

 

 

 

 

 

先日セッションをさせて頂いた方と

「寂しさ」について語り合いました。

 

 

 

 

私もその方も

お互い「寂しさ」を持っていて

一致した課題と向き合った中、

 

彼女がこう言いました。

 

 

 

 

「寂しさ」って、あっていいんだね。って。

 

 

 

 

その一言が、私はとても嬉しかったです照れ

 

 

 

 

人の悩みはそのほとんどが

人間関係と言われています。

 

 

 

怒りを感じたり

悲しみを感じたり

無価値観を感じたり

劣等感を感じる相手がいたら・・・

 

この色の話を当てはめて考えてみてね^^

 

 

 

上司は紫

お母さんはシルバー

彼はオレンジ

私は栗色

 

 

みんな違って

みんないい、だねウインク