Instagramを開けたら
見覚えのある風景が出てきて「あ!うちだ。」
母を自宅で看取ると決めてすぐに
「小地蔵さんを作って。母と私の。」お願いしました。
数ヶ月しか一緒にいられないのに…
恵子さんが魂を込めて、私の悲しみと不安を丸っと受け入れてくれて作ってくれるのに…
すぐに燃やされちゃうのに…
とは思わなかった。
私はそれが恵子さんの本望であり、小地蔵さまのお勤めだと思っていたから。
「その時までよろしくお願いします。」
母は欲の無い人だったから。
欲が無いと言うよりは
全てを持っていた人だから。
母の棺には母が見えなくなるほどのお花と小地蔵さまのみ。
生き切った母の、この世になんの未練もない母には小地蔵さまのみ。
思い出すらいらない。
やり切った私の肩を小地蔵さまがポンっと叩き
「あとは任せて」
あんな小さなお地蔵さまの頼りになる事ったら。
さすが仏様
程なくデイジーにも同じ事になるとは思わなかった…
母の看取りを支えてくれた小地蔵さまとデイジー。
デイジーも生き切った。
私を支え尽くした生涯でした。
小地蔵様が次々と出発してしまった。
恵子さんが書いているように
傾向としては、お供に付ける人は思いきりの良い人が多いです。決断力が飛び抜けているとか、スパッと行動できるタイプの人。哀しみをステップにして大きくジャンプする姿を何度も見ました。
私は母もデイジーもいないのに
小地蔵さまを手元に残す理由が無かったのです。
なんというか…
私の覚悟を一緒に持って行ってもらう…
後には残さないから
ちゃんとやるから
そんな感じでしょうか。
それが良いとか悪いとかではなく
好きなようにして良いのだと思います。
どんな選択も
正解です。