先日「ペットマヤ暦リーディング」を受けてくださった方。
獣医さんをされています。
ヒーリングもアニマルコミュニケーションも学ばれています。
動物と飼い主さんの心について少しお話をしていた時に
ぽつりと
「病気を治すだけが獣医ではないと思います」とおっしゃったのです。
その言葉にズキュンと来ました。
かっこいい・・・素敵。
あ、女医さんです。
いや。。病気を治すのが獣医さんでしょ?
って思う方もいるでしょう。
もちろんそうでしょう。それがお仕事です。
18歳以上のハイシニアになれば、なにが起きても「もうここまで生きてくれたから・・」と諦めもつくかもしれません。
飼い主は誰だって、もちろん私だって大事な自分の動物とのお別れなんてしたくありません。
想像だってしたくないよね。
でも、その時はやってきます。
そしてその時まで一緒にいることが飼い主の勤めです。
私は「飼い主の義務でしょ?」って言うより「飼い主の権利であり特権である」と思います。
その身体で私たちにたくさんの気づきと学びを与えてくれた動物達を最期までそのゴールを見届けるのは飼い主の義務では無くて権利です。
やるんだから!!私その権利あるんだから!!みたいな感じ。
治療法があるなら治療して欲しい・・・
でも完治の見込みがなく治療法がないなら・・・
飼い主はどう動物と向き合ったらいいのだろう。
獣医さんはその時は動物ではなく飼い主さんと向き合えるのだろうか。
私のような立場の者が1000の言葉を並べたとしても、きっと獣医さんの1の言葉に救われる飼い主さんのほうが多いと思います。
それほど飼い主にとって獣医さんは碇のような存在なのです。
そしてそう在っていただきたいと思います。
治療のために強い薬を使い対処していくのか。
状況により、身体に負担の少ない対処をしていくのか。
弱っていく動物がボロボロになるまで治療を続けるのか。
飼い主は最期まで「治る」ことを願うものです。
どんな治療にも耐えて乗り越えて欲しいと願うのかもしれません。
動物達もそれに応えようとするかもしれません。
それは「人の視点」
動物達が願うのは、より身体に負担の少ない治療とは言えないけれど身体が楽になるものではないでしょうか?
先日、友人がギックリ腰になり末期癌の猫さんの病院に代わりに行きました。
私が抱っこリュックを太鼓のようにトントンとリズムを取りながら替え歌を歌って往復したことを伝えると友人は号泣しました。
「歌を歌ってもらって、安心したと思います」
安心したのは猫さんではなく友人だったのでしょう。
ずっと張り詰めていて気の抜けない状況。
そして自分の不調。
対処療法のみの治療。
でも止めれば苦しい状況になる。
猫繋がりだったからなのか・・・セッションを受けてくださった獣医さんの言葉と、旅立ち間際のアニマルコミュニケーションでその方の猫さんが伝えたメッセージ。
友人の猫さん。
マヤ暦リーディングセッションを通して、飼い主でもあり獣医さんでもある方の貴重な体験と想いを伺う事ができました。
陽だまりのしっぽ 美香