こんにちは、

フォトグラファーの森藤ヒサシです。

 

 

今日は昨日の続き!

 

 

 

 

 

遺言書とは無縁だと思っていたけど

母が書いた遺言書を見るというのは

とても複雑な気持ち。

 

10年前に書いた遺言書であろうとも

そこには母の思いがこもっていて

感謝の気持ちしか湧いてこないのです。

 

 

 

 

2022年4月27日14時

 

いよいよ、検認する部屋へ呼ばれた。

 

待つこと10分。

 

担当の裁判官が部屋に来て

色々と質問を受ける。

 

遺言書に関してだったり

保管に関してだったり、

遺言書の紙質や

使ったインクなど。

 

まるで事情聴衆のようである。

 

 

 

実は今回の遺言書の検認に関しては

少し心配事があった。

 

 

母が遺言書を書いたのは

2013年。

 

私がちょうど会社を追い出されているとき。

 

会社を追い出したのは

当時会長である父親であるが、

母も私に対する誤解を持っていたので、

当時の私に対しては

あまり印象が良くないのでは、

と思っているのです。

 

 

もしかしたら

私に対しては

相続もなく、

嫌な言葉も書いてあるかもしれない。

 

 

そんな不安が心をよぎったのです。

 

 

 

筆跡も母であると確認し

裁判官から遺言書を渡された。

 

 

そこには、

母の遺産の分与が

父と私たち子供3人に対して

記してあった。

 

 

そして

遺言書と一緒に

手紙が添えてあったのある。

 

 

まずは

 

お父さん、楽しい人生をありがとうございました。

 

と一文。

 

 

それを読んだ瞬間、

溢れていたものが流れ出しました。

 

隣を見ると

姉も号泣。

 

 

亡くなった後、

初めて、母の声を聞いた気がします。

 

 

あー、お母さん!

 

 

なんだかんだ言っても

いつもお父さんにも感謝していたんだ!!

 

がんばって㈱小貫写真館に一生を捧げた母の生き方

 

それでも家族を一番に思っていたんだ!

 

わかっていたけど、

それが文章に書かれると

重さが全く違う。

 

 

母の遺書は、その後こんなふうに書かれていた。

 

 

子供たちは、皆それぞれ仕事を見つけ

励んでいてありがとう

久史さんは遠くばかり見ていないで

足元をしっかり固めなさい。

自分自身の考えでしっかり腹を絞めて

力強く優しくなってください。

平戸さん、岡本さん、富岡さん、北條さん、小野さん、

楽しい人生を共に過ごせてよかった

ありがとう

 

 

 

 

涙が止まりません。

 

この時期、離れていた私に対して、

一番強く思っていてくれたのだと思うと

感謝と後悔の念が湧いてきます。

 

 

父親は外出していたので、

テーブルの上に

母の遺書を置き

夜、父親に電話すると、

父も号泣していました。

 

 

 

 

遺書というのは

ただの文字の羅列ではなく

 

先に逝った人からの愛のかたち。

 

 

 

遺言書を見るまでは

いろいろと面倒なこともありますが、

私も家族に対して

しっかりと遺言書を残そう。

 

そんなことを思ったのです。

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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